卓袱台にぺちりと置かれたそれは一枚の大判写真というべきか、掌の二周り程の大きさの写真であって、其処に写るは妙齢な黒髪映える女性が独り。

「道中拾った。誰かは知らん」

 そうして茶を啜る魔理沙を他所に、私の視線はその女性から動かすほどが出来ないほどに、こう表したら陳腐なそれなのやもしれないが、何か猛烈に心を奪われ、ついでにその後の言葉をも奪われては何処か呆然とそれを見詰めるのであった。
 一体私は何に其処まで惹き付けられているのだろうか。彼女の身に付ける鮮やかな赤地に金と銀の松葉模様が入った着物がそうさせるのか、それとも彼女自身半身で口元に手をやり此方を艶かしく見下すその表情がそうさせるのであろうか。魔理沙がぱきりと呑気に煎餅を割るその横で、私は強烈な何かこうそれはもはや魔術だとか呪いの類いのそれなのではないかと云う程に、少しばかり煤けたそれに吸い込まれそうな錯覚を覚えて、私の視線は縛られるのであった。

「そんなに気に入ったのか」

 私は相も変わらずその女性の黒子、所謂艶黒子のそれなのであるが、そこから目を離す事も出来ずに、魔理沙の問いかけに言葉も無く頷いては押入の中をがさごそと潜って、一抱え分の札々で積まれた山を魔理沙の前にばさばさと置いた。

「これで良いかしら」

「なんだよ、これ」

「欲しいのよ、その写真」

「こんなに要らない。というより札なんか使わないぞ、私。貼り付けるもんぺだって持って無い」

「とにかく。魔理沙、お願い」

「やるって。良いよただで」

 ありがとう。柄にも無く跳ねた声の礼が口から出たものだから魔理沙はほんのり面食らうそれを見て、段々、何を舞い上がっているのかと妙に冷静さを取り戻して来たというべきか、私は頬に熱が集まるのをじわりと感じるのであった。
 しかし何はともあれ、私はそれを、その麗人映る心寄の写真を手に入れたのである。きっと只の変哲も無い写真と思っている魔理沙のそれとは違うのである。私には彼女の良さが分かるというか、理解出来るのだ。博麗だからとか巫女だからだとかそんな下らぬ肩書云々の話では無く、何かこう、心でというか、もっと人としての根っこの部分でというか、あぁ、陳腐な語彙でしか表せない自分自身が恐ろしく憎く情けない。下唇を噛みながらも魔理沙から護ったそれを手に取る訳であるのだが、眺めれば眺める程に気分が浮つくというか、高揚するそれを抑えられないのだ。

「そんなにか」

「申し訳ないけど、もう私の物だから」

「いやいや、そういう訳じゃなくてだな」

 まったく。そうぼつりと呟きながら、魔理沙は卓袱台の上に連なる札々を手にとっては戻してを繰り返しながらぼんやりと眺めていたと思えば、やっぱり貰う、運気上昇だろこれ、と全くもって運気云々一切関係ない魔除けのそれを一枚懐に入れた。

 その後もあんまり私の相槌に気が無いものだから、魔理沙は机の札を壁に向かって飛ばす練習をしていたが、結局私には合わないだの何だの呟いては出涸らした茶を飲み干して帰って行った。相も変わらず写真に見惚れていた私なのだけれど、じゃあなという魔理沙に、ん、とそっけなく返事をしてしまったものだから、物を貰っておいてそんな素っ気無い態度を取るのは如何なものかと刹那にはっとして、慌てて飛び立とうとする魔理沙に駆け寄った。

「えっと、写真ありがと。帰り、気を付けて」

「おう。見送りなんて、何だよ急に。うん。それじゃ」

 魔理沙は何処か顔を紅くして飛んで行った。
 勢いあまって慣れない見送りまでしてしまった。私も妙な気恥ずかしさに片頬の肉を噛みながら、居間へと戻るのであった。

 そうしてその後も一日中それを眺めては溜め息付いてを繰り返し、何だか夕餉の味も良く分からないまま入浴と寝支度を質素に済ませた後、そのまま布団に入った。意識が落ちる寸前まで、瞼の裏でも浮かんでくるあの麗人をそこでもまじまじ眺めていたものだから、その晩は境内にある椎の木に生った赤い林檎が艶に囁く歌に気を失うほど心奪われるという意味の分からない夢を、確かに夢など意味筋立った物など見るのは稀ではあるのだが、やけに目覚めが良かった朝まで延々見続けるのであった。



 それからというもの、日々の雑務をこなしては茶を啜る位にしか表せない凡な数日が続いた訳なのであるが、その合間合間に写真を眺めては心酔するというそれに変わりは無かった。どんな名前であるのか、何処の人なのか。見れば見るほどその妖艶さは人間なのか妖怪なのかの認識がぐるぐると曖昧になっていく。当たり前の様に此処、幻想郷の住人だと思い込み、参拝に現れはくれないかと巫女らしからぬ神頼みを毎晩していた訳なのだが、その麗人もとい誰一人も鈴を鳴らしに来ないこの現状に肩を腰まで落としていると、もしかすれば外の世界とやらのそれなのかもしれないという邪推が胸中大きく広がって、どうにもやりきれない心持ちになるのである。

 恩恵をくれぬ神々共に頼るのは止めにして、いや、それは言い過ぎた。神様方々に一応頭だけは下げておくとして、何処かこのもやつきというか得も知れぬ焦燥感を取り除かねば、巫女の日常もままならぬという事で、何かあの名も知らぬ麗人を感じる事の出来る何か無いのかとそれを眺めていたところ、穴が開くほど眺めたその顔から少し視点を広げて、その髪型に目が行った。
 端的に言えば、おかっぱの様でおかっぱでは無いのだ。日本人形のそれとは違い側髪は襟首を目掛けてつるりと窄まっており、毛先も肩と並行という訳で無く、こう、耳下から頬下に掛けて斜めに流れるそれなのである。全体としては丸みのあるそれは、先日の妙な夢も有ってか、何故だか林檎に被って見えるのであった。

 これだ。これしかない。髪型なら、私にも真似出来るのでは無いだろうか。幸いその緑髪、緑髪と言えども黒色のそれである訳なのだけれど、私にも艶々かどうかはさておき、黒い自前の髪がある。麗人のそれよりも遥かに長いこの髪を切って、表わすならばお揃いにしたい、そう強く思ったのである。

 はたまたがさごそと棚を探れば出てきたのは、お目当ての鋏、和裁用の裁ちばさみな訳であるが、それを片手に壁掛けの鏡に立ってみる。相も変わらず何とも表わしがたい表情を浮かべているはずの私が映るはずが、何処かにやにやとしたご機嫌なそれが映っているではないか。艶やかさの欠片も無かったのだけれども、これからこの鋏を使えば、忽ち顔に艶やかさが芳醇に染み出すのだから。

 緩む口元そのままに側髪の髪飾りを外し、毛束そのまま片手で掴む。そうしてもう片の鋏でばちりと一閃裁ち切るのである。その勢いはたまたそのままにもう一方のそれも裁ち切り、手で束ねた後ろ髪も同じくざららと断ち切れば、鏡に映るのは麗人由来の林檎の様なそれになっている、筈であった。

 しかし実際に映るのは、どこからどう見ても日本人形のそれなのである。先程私は確かに、確かに表わした筈なのである。日本人形のそれとは違う、と。しかし、どうだ。鏡に映っているのは、度に念を押されるのであるが、巫女装束の日本人形なのである。完全におかっぱのそれなのである。先程迄の何か込み上げていた高揚感はとうに姿を隠し、今は只々先とは違った焦燥感に身体をぴりぴりと刺されるのである。

 違う。待って、違うの。そわつく胸中独り言ちるも、現実は何が違うんだと言うばかりで、雑紙の類いも敷かなかった足下には枯れ積まれた藁束の様に私のであった毛束が指先を覆う様に山を作っていた。鏡に視線を戻し、全く以て日本人形のその毛先をどうにかしようと裁ち鋏を縦に入れる事も考えたが、何だか急にこんな大きくて無骨な鋏を刃を半ば顔に向ける様な事など出来ぬと私の腕は震え始めるのであった。

 それでもまだ、まだどうにか出来ないかと足掻く私は、震える脚を引き摺って戸棚から眉墨を取り出して、最早記憶の中のその麗人を思い起こして、同じ艶黒子を口元に点と書く訳なのであるが、結局鏡に映っていたのは、黒子のある日本人形でしかなく。

 私は只々天板を仰いで、湿ゆく目元を閉じ縛るのであった。



「霊夢、いるか」

 その後がらりと障子を開けたのである音と共に、聞き慣れた足音が部屋に響いた。
 私はそれを背中で聞きながら、膝を抱えて失意の底にいる最中で、すんすんと鼻を鳴らしていた。

「どうしたんだ。えっ。髪の毛か、これ。なあ、霊夢」

 そうして魔理沙は私の肩を掴むので、私は震えたがる身体を何とか抑える様にしてそちらへ振り向けば、魔理沙は丸い目を更に丸くして言うのである。

「おぉ。可愛いじゃないか。似合ってる」

「えっ」

「似合ってる。まるで人形みたいだ」

 違う、違うの。そう言葉に出来た時にはもう零れる涙を止める術は私には無くて、うううう、と顔を覆って只々泣き咽んだ。

「れ、霊夢。違う。ごめん。なんだ。座敷童の方が良かったか」

 更にめそめそと泣いてしまって、掌から零れた涙は服の裾やら床の髪束を濡らしていった。
 最中顔を見ることは無かったけれども、私が落ち着きを取り戻す迄魔理沙は背中に手を添えながら、ああでもないこうでもないとあたふたとした口調で語るのであった。



「どうしたんだよ」

 あれから少しして、私は泣き止んだ。
 身体の決りも収まって、今はどちらかというと、友人が居るにも関わらずあの様な姿を見せてしまった事に対する恥ずかしさで顔が上げようにも上げられず、私はあの写真を卓袱台の上に置くだけ置いて、ひたすらに顔を伏せていた。

「そ、そんなにかよ。相当気に入ってるんだな、これ」

「でももう駄目。私は人形のそれなんだもの」

「悪かったって。でもそんなの自分でやるからだ」

「じゃあ魔理沙に頼めばやってくれるのかしら」

「私は不器用だ。それに怖いだろ、他人の髪切るなんて」

「ほら」

「次はアリスに頼め。上手そうだし」

 確かに。その言葉を反芻しながらいつの間にか出された茶を啜っていると、勝手よろしく戸棚やら台所から皿と果物包丁を取り出した魔理沙は、これまたいきなり林檎を取り出し、道中買ってきたとか何とか言いながら皮を向いていく訳なのであるが、その途切れ途切れに短い皮を見れば、今生魔理沙にはそれを頼むまいと固く心に誓った。

 切られる林檎は此方を艶に見つめてくる訳でも、歌い出す訳でも無かった。

 魔理沙について行く様に縁側に腰掛け、茶を啜りながら切り分けられた林檎に手を伸ばす。

「魔理沙があれを持ってこなければ、こんなことには」

「私のせいかよ」

「冗談よ」

 境内に大きく生える椎の木を見てみても、そこに林檎の果実など生っている訳は無く。落ちているのはころころとした椎の実ばかりなのである。

「どんぐりが林檎を夢見たって良いじゃない」

「うん?」

「どんぐりだって林檎になりたいと思うのは可笑しな事なのかしら」

「どんぐりは林檎にはならんだろう」

「なりたいのよ、どんぐりだって。そんなものでしょう、人生は」

そうして私は見てくれ悪く切り分けられた林檎を囓った。



どうにもそれは、掠れて乾いた喉に染み渡る様に、大変甘くて、僅かに酸っぱいのであった。