どうせ暇を貰うのだから、空は青く澄み渡る様な晴れの日であって欲しいと思う願いが通じた様に、いや、主の手前そんな事を願うのは有りなのか無しなのかはこの際置いといて、お天道様が聞き入れてくれた心地よい日差しの中、里をるんるんと闊歩してみれば面々何だかその陽気に中てられた様な顔をしているので、それにつられるかの如く私もついつい頬が緩んでしまうのも仕方が無い事なのである。 

 さてさてこれから何処に向かおう、気分的には和菓子でも嗜みに行こうか、ようかんぜんざいところてん、いやはや行きつけのお団子も捨てがたい、しかし時間はだいたい正午に差し掛かるくらいだろうからお昼にしちゃうのも悪くない、などと浮かれて歩いていれば、たまたま通りかかった建物、寺子屋の前で見慣れた姿が見えたので、これはこれはと声を掛けるのであった。

「こんにちは」

「あぁ、美鈴じゃないか」

 そうしてきっと陽の光を手で遮りながらこちらを向くのは、その寺子屋の先生でもある上白沢慧音なのであるが、顔にどこか覇気がないというか、手の影以上にどこか暗い気がするのは気のせいであろうか。

「お疲れですね」

「あぁ、そういう訳では。いや、そうだな。そうなのかもしれない」

 そう答える顔も普段のきりりとしたそれとはやはり異なるので、殊更何処か違和感を感じている最中、あっさりと認めたものだから、殊更普段の慧音先生らしくなさというか、違和感を覚えて仕方が無かった。

「ちょっと、寄っていかないか。お茶くらいしか出せないのだけれども」

 どこかしおらしげに言われたものだから、勿論断る理由など無いのでそのまま了承し彼女の自宅へと向かった訳であるが、その短い道中も当たり障りのない天気がどうとか、まぁ大した内容では無かったのでそうなるのも仕方が無いとは思うのだけれど、ぼんやりとした返事が一つ二つ返ってくるだけなので、違和感そのまま家へと上がり、出されたお茶を啜るのであった。

 頭が痛い、と呟く慧音はぽつりぽつりと彼女自身の役割、つまりは寺子屋の先生である事への想いだとかそういったものを詰まり詰まり紡いでいくのであったが、何処か要領を得ないというか何というか。口ではその役目は素晴らしい、これ以上ない嬉しいものとは言いつつも顔は曇天のそれである訳で、普段の竹を割った貴女は何処へと突っ込みたい程、今の彼女は口ごもったり視線をあちらこちらにやったりと落ち着かず、有難いことではあるのだが、空になった私の湯飲みを見るや否やこれ幸いと何だか逃げ出す様に代わりを淹れに行ってしまった。別に逃げ出すも何も、私が鋭い視線を向けているだとか厳しい顔で追いつめているなんてことは全くなくて、何か核心めいた答えを避ける様に言葉を選んで円滑に回らぬ口で紡いでいるのである。
 しかしこの紅美鈴、慧音さんの普段とは違う振る舞いのそれや落ち着きのなく溜め息を漏らすその姿を見ていると、何となくというより最早確信付いているものであるのだが、慧音が口にするのを憚んでいる言葉がじわりじわりと浮かんできてしまうのだから仕方が無い。生まれつきの能力云々というより、もっと根っこの性分というか。他人に比べてもそうしたところの察しの良さは、自分で表すのも如何なものかと思うのだけれど、それなりに持っているつもりなのだ。

 そうして耽っている内に慧音が一文字に結んだ口を波打たせながら、お茶のお代わりを淹れて持ってきてくれたのであった。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 そうして一口お茶を啜れば相手も併せた様に茶を啜る訳なのだが、以前慧音から何か明確な答えというか言葉が出るという事もなく、彼女は一つ息を吐いた。そんな抜けた間の後私はそれを紡げない慧音さんの代わりに、なんて気持ちはさらさら、いや正直に言えば多少はあったのかもしれないけれども、代弁する様に恐らく核心めいているのであろう言葉を口にした。

「やる気が出ない?」

 慧音さんはぐっ、と眉間に皺を寄せてわずかにうつむいていくのであるが、それを見せまいと再び顔を上げてこちらを見ようとするのだけれど決して視線が交わることは無く、あちらそちらとふらふら動けば、身体もそれに併せる様にしてそわそわと動いているのである。

「そういうつもりではないのだが。その、なんというか」

「やる気はあるんだ」

「あるはずなんだ」

 慧音の言葉がどんどんと尻すぼみに小さくなり、更には額を手で覆いだす訳なのであるが、猶更思考の渦にぐるぐると囚われ身体もどこか小さくなっていくその姿に私は先程の言葉を口にしたことを少しばかり後悔するのであるが、もう口にしてしまったものは盆には返らぬのだから仕方が無い。

「そうなんだろうな」

 慧音さんは此処迄のある種悪足掻き染みたその抗いを諦めたかの様に脱力して天版を仰いだ後、私の言葉を噛み締めるようにして肯定したと思えば、どんどんと顔が曇天のそれから湿り気交じりの雨雲へと変わっていく様に、最早泣きそうな顔をしながら口をぽつぽつと開いた。

「なんだか泣いてしまいそうだ、本当に」

 彼女のそんな姿は勿論普段のそれとは一文字返しに異なるもので、私自身どうにも居た堪れなくなってきてしまうので、私が出来る精一杯の提案というか、愛を差し出してみる。

「この胸で良ければお貸ししますよ」

「遠慮しておく、変な癖になりそうだ」

 こうもあっさり断られてしまうとそれはそれで私も傷付く訳であるのだが、溜め吐く慧音さんの視線を追ってみれば、黒く何の変哲も無い文机の上には煩雑ながら器用に書物が山を作っており、確か彼女は月次の編纂云々もまた生業としていたはずで、荒れた文机はそれが全くもって進んでいないという証拠なのであろうと容易に想像が付いてしまう。
 そうして視線を戻してみれば、ばつが悪そうに同じく戻した慧音さんの視線と交わるものだから、いかがに声を掛けたものかが掴みかねた。

「散らかっていてすまない。今更だが」

「いえいえ」

 慧音さんの身振りや部屋の荒れ具合から察するに本当に突発的なお誘いであった事は確かで、そのような状況で上がり込んだ手前散らかっている云々を気にするつもりは一切無く、というよりそれがどのような状況でもこの程度気にする玉でも無いのであるが、彼女が顔を赤くしているのを見てしまうと、何かもっと気にしていないその旨を強く伝えるべきであったのかと少し後悔の念に駆られてしまうのである。

「やらなきゃいけない、分かってはいるのだが、何に対しても、どうにも動かないんだ。頭が、腕が」

 そうしてまた息を一つ吐く慧音さん。何だか先程から負のそれに嵌っているのかどんどんと顔を暗くしていくものだから、頭の中には何か掛けられる言葉を探して躍起になっている私がいた。

「でも、お茶のお代わりは出してくれてるじゃないですか」

「それとこれとは違うだろう」

「そうですか」

「そうでもないのか」

「うーん」

 そう言われてしまうとそんな気もする。いくら門番が嫌になったからと言って、来客に対してお茶を出さないというのも考え辛い。口元に手を当てどうしたものかと頭を回してみるのであるが、いくら門番が嫌になった、いや、嫌になったとかそういう訳では無くて、門番。門番か。門番はどうであろうか。教壇に立つのが億劫なのであれば、紅魔の門前に立ってみるというのは如何であろうか。

「代わってみますか」

「代わる、とは」

「門番」

「えっ」

「門番をしてもらうんです、紅魔館の。知ってますか、湖畔のとこの、紅、紅慧音です」

 ぽんと手を叩いてさぞそれは名案だという様な顔を浮かべているであろう私とは対照的に、これは慧音さんの癖なのであろう、彼女は眉間に皺を寄せて考え込んでいる訳なのであるが、それがはたまたかなり深いところまで考えに耽っている様子なので、私は手持ち無沙汰という訳でも無いのであるが、ちびちびとお茶を啜りながらしばらくその姿を眺めていたのであった。
 そうして段々と眉間の皺も薄くなり何処か胸中落とし処が見つかったらしく、慧音さんがこちらに目を合わせて来たのを見計らって私も口をぽつりと開く。

「それで私が」

 先程から気になっていた、というより以前よりちょっと、いや、かなり被ってみたかったそれを荒れた文机から引っ張り出して、先生の閣寺だったその帽子を頭に載せてみれば段々とどこか誇らしげな気分が顔にも滲み出ていくのを感じながら、続けて口を開くのである。

「上白沢」

「上白沢、美鈴」

「はい、上白沢美鈴」

 被ったその姿を見てみたくて、それを手で押さえながら湯飲みの中に映る自分をのぞき込むのであるが、お人好しな茶は私の影も映し込んでしまうので、あまりよく見えなかった。それでもちらちらとそれをのぞき込みながら、頂の赤い羽根を触ってみれば意外にもしっかりとした手触りに驚いてみたりと、どこか唖然としていた慧音さんを尻目に少しだけ耽ってしまった自分を胸中諫めつつ、それでもこのそわつく、というか帽子がもたらす高揚感を抑えきれず、彼女に問いかけてしまうのである。

「似合ってますよね」

 そんな私を見て慧音さんは少しだけ、やっとのこと緩めてくれたものだから、更に私も自然に笑みが零れてしまうのであった。別にそれが課題という訳でも無かったのだけれども、彼女の笑顔が見られたのでとりあえず詳しい事はまた明日という事で、私はお茶のお礼をした後に、甘味やら昼飯やらの欲求をすっかり忘れて館へと踵を返していく道中、あまりに楽しみなのか何なのか、私は鼻歌交じりに身体を揺らしている自分に気付いて少しだけ顔が熱くなった。まあ、見られていたとしても路端の草木くらいであろうから、別に構わないのだけれど、そんな言い訳胸中呟けば、更に顔の火照りは高まるのであった。何はともあれ、先生、先生なのだ。美鈴先生なのである。もし心躍らないとすれば、それは私では無いのである。



 昨日の突飛な、自分でそう表すのもどうかと思うが、それから早一日、事は想定通りにするすると進み、特に懸念もしていなかったのであるが、レミリアお嬢様へこの旨いかがと相談に行けば、まったくもって構わないわと一つ返事を貰えたのでそれで終いなのである。それを慧音さんに伝えればそんなに事が早く進むとは思っていなかった様子で少し驚いていたので、それが紅魔なのですと明鏡止水な私は語るのである。
 結局その話を遮る物は何一つ無かった為、自分でも急すぎるとは思いつつも善は急げに倣い、いや、そもそもこれが善なのかは置いといて、決行は早速の明日となった。慧音さんはこれから生徒に伝えたりと諸々の準備が必要である事は重々分かっていたのであるが、それでも何だかんだと言うより先に自分の方が先生役を楽しみにしてしまっているのか、つい口から零れた楽しみですねという言葉を聞いて、慧音さんも一つ間は有ったものの同意を表した後、何故かまたもやぐるぐると思念に耽り眉間に皺を寄せているので、これはいけないと私はその眉間に手を伸ばすのである。

「しわになっちゃいますよ」

 しばらくぐにぐにと弄んだ、弄んだという表し方はよろしくないか、解してあげた後にはたまたお茶を飲み干した私は帰路に着いたのであった。



 そうして館に戻ったところで、私はふと気付く。先生になるのは良いのだが、一体何を教えれば良いのだろうか。慧音先生の様に歴史云々はとてもじゃないが無理がある、というより例え自知識の範囲での歴史のそれを伝えようとしても、いかに言語化すれば良いのかがまるで分からないのである。ましてや相手は子供達。明確かつ分かりやすく、そして何より話に魅力が無ければ五分と持ちやしないであろう。
 これは困った。唯々困ったところで良い案が浮かぶ訳でも無し、自室で云々唸った後に私は図書館へ足を運ぶ事にしたのであった。

 本棚をちらちら眺めて周るも、これと言ってぴんと来るものは特に見当たらず、そんな魔導書であるとか錬金術がどうこうといった類のそれが受けるとも思えず館内を軽く回った後に、何やらそうした類の本を前に耽っている紫髪が見えたので、これ幸いと私は声を掛けた。

「パチュリー様。どんな授業を聞きたいですか」

「体調管理とか」

 いや急に何なのよ、とパチュリー様は呟く訳なのだけれども、私は経緯を粗方話して困り眉の理由をざっと伝えた。彼女は二つ三つの相槌を打ったかと思えば、うーむと唸った後、相も変わらずの表情に乏しい顔でぽつぽつと呟いた。

「とりあえず食べ物でもあげたらどうかしら」

「授業ですかね、それ」

「そこで心を掴めれば、後は何しても聞いてくれると思うのだけど」

 中々に現金な考え方に思わず苦い笑いが漏れてしまう訳なのであるが、当の本人も本人で片笑みながら何が良いかしらね、サンドイッチ?、などと何処か楽しげに考えを巡らせているのだから可笑しなものである。

 そうして二人でああだのこうだのしているところ、見慣れた銀髪、咲夜さんのそれなのであるが、彼女はたまたまその輪にやって来たのであった。借りてた本を返しにとのことであったが、こちらも例に倣って経緯云々伝えると、しばらく考え込んだ後にぴしりと口を開いた。

「飴を配るのよ、授業の前に」

 これが紅魔なのか。結果先程のそれと大差無い意見を挙げたものて、やっぱりだとかそうですよねなどとにやつく魔法使いと意気投合しているのだから仕方が無い。

 結局これだという答えは見つからず口を窄めて図書館を出た訳なのであるが、その後も廊下に飾られたよく分かりもしない絵画を眺めては美術について話そうか、庭の花々を見ては園芸論でも語ろうかと考えを巡らせ、結局小さく首を振るだけに終わってしまうのであった。

 しかし、その夜には既に、何とかなるでしょうと楽観的に結論付けている自分がいる訳で、それはそれで慧音さんを思い起こせば強みなのではないか云々と胸中呟いている内に、意識が段々と幕掛かっていく様に眠りに落ちていたのであった。



 改めて思うのは、教壇というのはどうにも浮き足立たせる何かというか、なんだかこそばゆくなるような魔法でも掛かっているのではないかという事である。
 紅魔の門前にて慧音さんと言葉を交わしてから大した時間も経たぬまま寺子屋に着いた私は、誰もいない教室に独り立ち惚けて不自然に何かを探すでも無くきょろきょろと見回したりと、自分でも笑うくらいにどこか緊張しているそれなのだから可笑しなものである。

 決行日を迎えた本日、紅魔にて早々に慧音さんと落ち合い、業務連絡的な会話を互いに交わすのであったが、思えば相槌を打つばかりで有事の際の対応だとかそういった類いの引き継ぎを全くしなかったなという私に対して、慧音さんは昨日までの授業内容が如何なるものであったのか、今までどういったものを主として教えてきたか云々と、それはもうしっかりと伝えてくれるのであった。もう少し私も綿密に何かもっと伝えるべきであったかな、と道中内心もやつきもしたが、まぁ住まう人々が守られる云々のそれでは無いので別に良いか、とそんな心配なのか何なのかぼやけた感情は杞憂である様に霧散した。対した慧音さんも歴史云々を私が教えるとは思えないと途中で気付いたのか、特に気にせずやってくれれば良い、と任せてくれたので想定のそれよりも少しだけ無意識に強張る身体が大分と楽になったのであった。
 そして最後にこれまた楽しみの一つというか、恐らくそれはもう緩んでいたであろう顔の私は彼女の頭から帽子を取っては、自分の中華帽を彼女のそれに被らせた。慧音さん然り私の色目はまあごてごてしていて可笑しなものであったのであるが、そんな事は大した問題では無いのである。

 そんなこんなで教室にはぱらぱらと生徒がやって来ては、それぞれの席へと着席していく。おはようございます、と挨拶を当たり前の様に出来るそれは、きっと慧音先生の教育の賜なのであろう。それに負けじと私も笑顔で挨拶を返しては、一人一人にお名前は、訊ねては顔と名前を頭に叩き込んでいく。そうした記憶が全く以て苦で無いのは、日頃の門番業務の賜なのであろうか。

 その後暫くして、全員が揃い定刻となった。上白沢美鈴先生の始まりなのである。

「皆さん初めまして。今日は慧音先生の代わりに先生をします紅美鈴です」

 よろしくお願いしますと頭を下げれば、皆も口を揃えて復唱しながら頭を下げるものだから、何と表わして良いのか分からない感動というか何というか、感嘆のそれが胸中にじわりと広がった。

 そうしてそれぞれに飴玉を配り終えた後授業に入る訳なのであるが、いや、その、私も紅魔の子であったというか何というか、内心紫と銀のその面々にほら見なさいと言われている様な気がしてならないそれはそれとして、生徒達は嬉しそうに受け取っていくものだから、これで良いのである。包装も可愛いやつを選んできたし、味も苺味なのだから。それに甘い物を口にした方が頭の回転が良くなる云々というのを何処かで聞いたことがある。明鏡止水なのである。
 今のは自分でも無理があった、明鏡止水では無いでしょうよと胸中呟くそれは置いといて、からからと口の中の飴玉を転がしながら私は授業を始める事にしたのであった。

 結局選んだ内容は太極拳。本当に結局だなと自分自身でも胸中毒づきながらも、それが一番無難なのだから仕方が無いのである。文机を教室の後ろへ詰めて、開けた空間の中それぞれが私の動きに続いて真似をしていくのだ。これまた可笑しなもので、にこにこと歯を見せながら続く生徒もいれば、周りを見回して恥ずかしそうに小さく真似する者もいて、中には目を閉じ雰囲気はこの道数十年の師範のそれという生徒も居るのであるから、子供というのは見ていて飽きないというか唯々面白い。
 気の流れを云々と説明するのは理解も難しいであろうと思い、お臍の上が暖かくなる様に、指先が温かくなる様に、と説明してみたところ、それを段々と理解してくれているのだからこちらも何だか得意げになりがちるのもまた仕方の無い事なのである。

 そんなこんなであっという間に午前の授業は終わり、生徒達は一度お昼を取りにそれぞれ自宅へと踵を返していく。私も私で特に昼食の用意をしていなかったものだから、何処か店で食べようかと外に出てみれば、通りがかった見慣れぬ銀髪、といっても咲夜さんのそれより更に白の強いそれである、が此方を見るなり声を掛けてきた。

「その帽子。あれ、慧音は」

「上白沢美鈴と言います。諸事情により今日は上白沢なんです」

「そんな事もあるんだ」

「えっと」

「藤原、藤原妹紅」

 そうして握手代わりなのか何なのか互いに軽く会釈をした後、今日の経緯を均して伝えるのであるが、この妹紅さんは何処ぞの魔法使いの様に乏しい表情でそうなんだと一つ相槌を打った。聞けば妹紅さんもお昼はまだで立ち話もあれだという事で、揃って目に付いた蕎麦屋に入る事となった。

「じゃあ、慧音は今紅魔館に」

「多分、こう、びしっと立ってると思います」

 妹紅さんはくすくすと笑い、違いないねとその口そのまま呟いた。

「大分悩んでいる様でしたよ。普段じゃ見られない感じというか」

「ここにしわ寄せながら?」

「ついつい伸ばしちゃいましたね。こうやって」

 その内に注文したお蕎麦がやって来たので互いにそれを啜りながら暫く話していたのだけれども、結局慧音さんはやっぱり抱え込み癖であったり悩み癖があるというのは妹紅さんから見てもそうであるらしく、一度その渦中嵌まれば中々抜け出せずにぐるぐると考え込んでは落ち込んでいるとか何とか。それが真であるなら今日のこれが良い気分転換になる事を多々祈るばかりである。

「相変わらず慧音は難しく考え過ぎる」

「そうですね。難しく考えられない私が言うのもどうかと思いますが」

「私もだよ。そのくらいの方が良いと思うのだけどね、色々と」

 私達は昼食を取り終えるなり軽く話しては店を後にした。午後の授業はどうしたものかなどと頭を回していると、ふと妹紅さんがどこか悪戯染みた顔で問い掛けてきた。

「門番ってのは忙しいのかな」

「そうですね。雲や鳥を三百は数えられる位には」

「そんなに退屈なんだ」

「初めてなら尚更ですね」

「じゃあ丁度良いや」

 そうして慧音さんに顔を出してみるという妹紅さんと別れ、先のきつね蕎麦は美味しかったなと今更鼓を打ちながら、私は寺子屋へと戻るのであった。



 それから暫く教室で午後の授業は何をしようかと先からの問題に悩みながらも暇を潰していると、ぱらぱらと集まり戻ってくる生徒達に紛れて、今度はよく見慣れた銀髪、咲夜さんのそれなのであるのだけれど、教室の後ろにすっと入ってきたのである。

「門番さんに見学は自由と聞いたから」

 子供達はまたまた現れた新しい大人にまたもざわめきつつ、そのせいか咲夜さんの顔は少し紅い様な気もしないでは無かったのだけれど、わざとらしい澄まし顔でこの後の授業を見るつもりなのであろうそれを吹き飛ばすかの様にして、私は咲夜さんの手を引き教壇へと上がらせた。

「ちょっと」

「午後の授業、内容がまだ決まってなくて」

「駄目じゃないの」

「だから手伝って欲しいんですよ」

「えっ」

 もう教壇に立った時点で、既に生徒達の目は輝く訳で。
 可愛らしい歓声沸き立つ面々の前に降りるに降りられなくなった咲夜さんは、更に顔を紅くしながらあたふたとするのであった。

「そんなこと言ったって準備も何も」

「何かこう、手品とか」

「それじゃあ芸じゃない。授業でしょう」

 変な所、いや変な所でも普段でもどこか生真面目な所があるなあとしみじみしていると、咲夜さんは暫く目を閉じた後にこちらをじっと見て、小声で言った。

「美鈴、飴は無いの?」

 酷く真剣な顔で言うのだからずるいというか何というか。

「もうあげちゃいましたよ」

「私の案なのに」

 そうして不満顔の咲夜さんを相手にああでもないこうでもないと散らかした後、結局、これまたらしいといえばらしいのであるが、咲夜さんは礼儀作法というのは少し堅すぎる言い方やもしれないが、所謂マナーに纏わる授業を行う事にしたのであった。
 勿論相手は子供達故、内容もかなり均した簡単なそれであるのだが、和服ながらもご機嫌麗しゅう云々、着物の裾を摘まみながら脚を後交させて頭を垂れるその姿は、やはりどこか不釣り合いながらも子供達がなりきって行うのだから面白い。気乗りが良いのか何なのか、給仕役と主役に別れて行う疑似体験の時間を設ければ、この紅茶は何、こんなもの飲めた物じゃないわねなどとお嬢様も舌を巻きそうな、もはやそれは主従関係ではなくて嫁姑であろう二人組もちらほらいるのでついつい笑ってしまう。中にはもうこんな所出て行きます、と三行半を叩き付ける給仕役も居るのだから、想像力の逞しさにこれまた口から笑いが漏れた。

 そんなこんなで生徒達は紅魔で働くには申し分無い気功術と洋式作法を身に付けたのである。まさか人里で紅魔の人員育成が行われるとは私を含め誰もが思いもして居なかったであろうが、授業終わりの終礼も皆が皆どこかしゃなりとしながら深々お辞儀をする姿に何処か胸の内満たされる物があった。隣の依然として顔を紅くしている咲夜さんも、満更でも無い様子で礼を返した後、終礼後の子供達に囲まれ他愛も無い会話にたじろぎながらも何処かで年長者を装うその姿に何か、普段の紅魔館では見られないそれに私は妙な新鮮さを覚えたのであった。



 そうして生徒達が去った後、私達はがらんと静かな教室で二人、何処か心地良い疲労感に身体を任せる様にして文机に突っ伏しているのであった。

「あぁ、疲れました」

「誰のせいよ、誰の」

 咲夜さんは自分の三つ編みをぼんやりと弄びながら、続けてぽつりと呟いた。

「でも羨ましいわ。あ、先生じゃなくて。生徒達ね。ああやって同年代で集まって同じ事を共有して。さぞ楽しいのでしょうね」

「慧音先生に頼んでみますか。私達相手に授業して下さいと」

「更に負担掛けてどうするのよ」

 確かに。今日のこれは楽しい半分で済んでいるものの、これを毎日授業の内容を考えて、子供達に分かる様に話を噛み砕き、授業以外にも道徳だとか人間としての善悪を教え、時に子供達同士の諍いを宥め。考えれば考える程、連日それが続くという事がいかに神経を磨り減らす事なのだろうか、とある種の恐怖とまでは表わさずとも、どこか畏れ多いその感情に胸中満たされるのであった。咲夜さんの負担という言葉は、全く以てその通りなのであろう。彼女には里の守護者としてのそれものし掛かるのである。今日のこの思い付き、と表わしてしまうのはどうにも格好が付かないのだけれども、この試みが少しでもその負担への向き合い方に良い物をもたらしてくれればと、良い気分転換になってくれればと、心から祈るばかりであった。

 そうして暫く二人してだらついた後、私達も帰路に着いた。道中、授業中の見慣れぬ振る舞いを指摘しては咲夜さんの顔を紅くさせては小突かれながら、夕陽差し込む広葉樹を尻目に何処か浮かれた足並みで紅魔館へと帰るのであった。



「門番というのは、なんだ。脚が痛い事が分かった」

「だから椅子に座る事にした」

「そんな自分を認めてやれた、一日だった」

 湖畔から映る夕焼けのせいか、何処か顔の紅い慧音さんはぽつりぽつりと呟いた。先の願いも少しは届いた様で何よりであると、自然と私の顔も緩んでいくのであった。そんな私の顔を見て更に彼女は顔に紅を差しながら、視線をちらりと横へ移して暫く瞼を閉じた後、いつものきりりとした顔立ちに戻しては口を開いた。

「明日からは、上白沢として戻れそうだ」

「心惜しいですが、お返しするとしましょう」

 私は馴染んだ頭の帽子を仕方なく、という訳では無いにせよ何処か残念がる胸中余所に返すのだけれど、慧音さんも何処か物惜しげに頭の帽子を差し出してくるのであるから、お互いに可笑しくなって笑みを零した。

 そうして私は、去りゆく彼女の背中が見えなくなるまで、綺麗な青色が夕陽に溶けて無くなるまで、手を振り続けて見送るのである。また、代わりましょうね。去り際に掛けた言葉とそれを受けた慧音先生の笑みを反芻しながら私は、何処か温かい胸の内で館に戻るのであった。



「皆、揃ったところで始めるわね」

 紅魔の面々着席させて、前に立つのは我らが主、レミリアお嬢様。

 昨日の一日先生体験のそれを報告すれば、素直に羨み自分も倣う事が出来るのがこのお方の素敵な所というか何というか。要するに私もやりたいと早速号令を掛けて、特別授業を始めてしまったのである。

「今日のテーマは紅魔には欠かせない概念、『凛』についてよ。貴女達の所作の一つ一つにはこの『凛』という物を常に持ち合わせていなければならないのだけれど、どうにも最近の貴女達にはそれを感じないというか。って、フラン。果たしてその欠伸は『凛』なのかしら。違うでしょう。そこまでして廊下に立ちたいのなら私は止めないけども」

 それこそ嫁姑じゃないのかという口調でぺらぺら口を回すお嬢様を横目に、私は咲夜さんに小さく耳打ちをした。

「これが羨ましかったんですかね」

「まさか」

「ですよね」

 どうにも締まらない。まあ、でもそれはそれで此処らしいというか何というか。半眼の咲夜さんを見ているとついつい片笑んでしまう私は、わざとらしく指を立てているお嬢様へと向き直す。子供達と何処か被るその姿に波打たんとする口元をさりげなく手で隠しながら、私は目を瞑るのであった。

「咲夜、復唱なさい。うん、どうしたのその目は。ちゃんと開きなさいな。『凛』では無いわよ。パチェ。眠たいのかしら。それは貴女夜更かしのし過ぎよ。元々の目付きですって。いいえ。こう。こういう目付きよ。ほら、真似なさい。あ、小悪魔惜しいわね。ほらパチェも続いて。美鈴、美鈴。貴女本当に寝るとは良い度胸じゃ無いの。廊下行き、というよりもう全員、全員よ。全員廊下行きよ、もう。『凛』とは何かそれぞれ考えなさい!!」



 そんなわあきゃあとした騒がしさと口の中を転がる飴のからからという音が妙に心地の良い、そんな昼下がりであった。