「頭が痛い」

 生ぬるくなった茶を啜りその渋さをどこか他人事の様に感じながら、ぽつりぽつりと呟いてみる。

「別に嫌だとかそういうわけではなくてだな。自分で選んだ役目だからな。そこについては何も問題はない」

「子供達に物を教えるこの役目は何にも代え難い素晴らしいものだ。教えるだけでなく、色々なものをかえって教わる事も多い。それに、親ではない立場から子供たちが日々成長していく姿を見ていられるのは、これ以上なく嬉しいもので」

 そうした言葉を詰まり詰まり紡いでいく訳であるのだが、滑らかに回らない口の代わりをするかの如く指先を擦っていたり掌を閉じ開きしている様にどうにも情けなさを感じる他無く、だからといってそれを止める程の何か素晴らしい言葉が出てくる訳でもない。

「しかし、なんて言ったら良いんだろうな。その、なんだ」

 どうにも詰まって仕方がないそれから逃げるように残り僅かの茶に逃げる様にして飲み干すのであるが、湯飲みの底に溜まった細葉は口の中を鬱陶しくざらつかせ、それが余計に渋く感じさせるのであった。
 見れば対面の湯飲みは既に空けられていたのでこれ幸いと逃げる様にして、私は座卓から湯飲み揃え手に立ち上がった。

「か、代わりをいれてこよう」

「ありがとうございます」

 湯を入れた急須にの口から湧き出す湯気をぼんやり眺めるその間も、どうにか先程の言葉の続きを紡ごうとするのであるが、どうにも頭の中に散らばる欠片のそれを形に出来ず、ましてや相も変わらず霞掛かっている思考の取り纏めることもならず、溜まるだけの息を吐きながら天板を仰ぐのである。
 しかし、一つだけ、一つだけ大きな感情が頭の片隅から顔を出そうとしていて、これだけは何か明確に定まっているようにしかならないのであるが、決してそれは喜ばしい感情だとか言葉などではなく、どうにも口に出すのが憚れるそれであるが為に、掴めない振りをする他無いのであった。
 こうしてどんどん濃くなる茶を他所に、私はうだうだと組む腕を指先で叩いては息を吐く。普段はわざわざ教壇に登っては偉そうに講釈を垂れている、というのは自分でも良い過ぎているのやもしれないが、らしく道徳やら美徳やらを謳い、素直であれ正直であれと宣っているのにも関わらず、いざ自分の事となればこの有様なのである。
 そんな自分自身に腹を立てる、という過程を含め一纏まりと考えている節があるのでは、いざ自らの情けなさに対峙した時には腹を立てる姿勢さえあればそれで良い、とでも思っているのではないかという、これ以上無い自己嫌悪、負の無間地獄に嵌り掛けては払拭せねばと小さく首を振るのである。

 結局、明確な続きやら答えやらを何も持たずに新しい茶を淹れ終わった私は、恐らく一文字に結んだ口を波打たせながら、両手にじわじわと帯びていく熱に急かされる様に座卓へと戻るのであった。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 そうして相手が一口茶を啜るのに合わせるように私も茶を啜る訳であるが、勿論だからと言って何を思いつく事も無しに、一息間を入れる。そんな抜けた間の後、対面の紅髪、紅魔の紅美鈴であるが、彼女は特に笑う訳でも訝かしむ訳でも無く、素直げのある表情で私に言葉を投げ掛けるのであった。

「やる気が出ない?」

 言い表せない、言い表したくない、頭の片隅から追いかけてくるそれから逃げ回っていたところ、びしっと突き付けられてしまった様な気がして、少々どころか大分面食らったそれを表に出すまいと足掻いてみるものの、恐らくは徒労でしかなく、やたらに動きたがる視線や身体を抑えることも出来もしないのである。

「そういうつもりではないのだが。その、なんというか」

「やる気はあるんだ」

「あるはずなんだ」

 尻すぼんでいく言葉に殊更悪足掻いている様な気がしてきてしまって、どこか目を見られまいと額を手で覆うのであるが、これまた猶更情けない姿に見えているのではないであろうかと、ぐるぐると考えが回り迷いしてしまうのだから困ったものである。

「そうなんだろうな」

 しかし、此処まで往生際悪くあちらこちらと頭を捻ったところで、頭の片隅からこちらを見ていたその事実からはとてもではないが逃れる事は出来ず、もはや認めざるを得ないのであろう。明日も明後日も同様に私を待つその使命やら役目からに対して、どうにもやる気が、頭も身体も前向きに取り組もうと思えなかったのである。
 では何か明確な理由が有るのかと問われても残念ながら否む他無く、実際にはあるのかもしれないが、今のじんわりと麻痺している様な痴れた頭では、残念ながら答えにたどり着く事は出来そうも無い。

「なんだか泣いてしまいそうだ、本当に」

「この胸で良ければお貸ししますよ」

「遠慮しておく、変な癖になりそうだ」

 胸中もやつくそれを晴らすが為に吐いた息の行く先を目で追ってみれば、雑な文字が載ったそれや、逆に一片の墨もない真っ白な書物諸々が煩雑に山を作る文机が映り、殊更にばつが悪くなるのであった。月次の編纂云々が全くと言っていい程に進んでいない動かぬ証拠である。
 またしてもそこから逃げ出すように、先程から逃げ出してばかりであるのは気のせいでは無いとは思うのであるが、視線を正面に戻せば、同じく荒れた文机を眺めていたであろう美鈴の戻した視線と交わった。

「散らかっていてすまない。今更だが」

「いえいえ」

 半ば自棄付いた日々、それすら色々な意味で片付ける気力さえもわかずに過ごしていた中で、寺子屋の前で偶然出会った美鈴を考え無しに家へ招き込んだ訳であるが、こうなる事は分かり切っていた事であるのにも関わらず今更妙な恥ずかしさに頬が火照ってしまうのだから困ったものである。

「やらなきゃいけない、分かってはいるのだが、何に対しても、どうにも動かないんだ。頭が、腕が」

 またまた溜め息を吐きそうになる自分に嫌気が差しつつも、それを堪えようとする気力も無いので、私の口は素直にはぁ、と一つ吐き出した。

「でも、お茶のお代わりは出してくれてるじゃないですか」

「それとこれとは違うだろう」

「そうですか」

「そうでもないのか」

「うーん」

 お決まりの様に口元に手を当てて考えを巡らせているであろう美鈴に合わせるように、私も腕を組みながら左の天板を眺めては唸ってみるものの、分かり切ってはいるのであるが、それが何か素晴らしい答えをもたらしてくれる訳ではなかった。
 そうして苦ったるい顔をした私は、いや、違う。えぇと、何だったか。砂利、そう。砂利だ。
 砂利を噛み擦ったで顔であろう私とは対照とした、もはや嫌味なほどの明活な表情を浮かべて何か思いついた節でこちらを見た美鈴が、どこか心踊らせる様な表情をしながら口を開いた。

「代わってみますか」

「代わる、とは」

「門番」

「えっ」

「門番をしてもらうんです、紅魔館の。知ってますか、湖畔のとこの、紅、紅慧音です」

 美鈴はぽんと手を叩いて、そうしましょうと一人合点がいっている様子でさらににこにことした顔を向けてくるのであるが、私はそれに至るまで頭が追い付かず、もう一度問い直すのであった。曰く、私、上白沢慧音が最近澄々がちる青空の下、それとは間反対の佇まいをした紅い館の一日門番をする云々。歯の尖った羽持ちしまいに茶葉と踊り狂う給仕役、それに確か山の如きな魔法使いも居た気がするが、その館を背に、怪しい者、奇妙な者は居ないかと皮肉めいた睨みを利かせながら立つという事らしい。
 しかし、よくよく考えてみれば、自分で表すのも何ではあるが、私も有事の際には里の守護者としての役目がある現状、強ち全く外れた役目でもない様な気がしてきて、段々とあの門の前に立つ自分の姿の輪郭がはっきりとしてくるからこれまた不思議なものである。
 何となく納得しそうになりがちたところでふと気づくのは、その美鈴の最後の言葉、紅慧音。

「それで私が」

 美鈴はそそくさと先の文机に寄り、書物に埋もれ掛けた私の閣寺だった帽子を手に取ったかと思えば、それをちょこんと被る様にしながら誇らしげな笑みを浮かべて、続けて口を開くのである。

「上白沢」

「上白沢、美鈴」

「はい、上白沢美鈴」

 相も変わらず唖然とした表情を浮かべているであろう私を尻目に、美鈴は緑茶に映る自分の頭を角度様々ちらりちらりと堪能してから、こちらを一瞥したり頂きの赤い羽根を触ったりとしばらくそわついた後、ぽつりと呟いた。

「似合ってますよね」

 あまりにも美鈴の顔がまるで生徒の笑む姿に重なるものだから、頷きながらもそれをまじまじと眺めてしまった私なのであるが、その後も一頻りはにかんだ美鈴は茶の礼をした後、館へと踵を返していくのであった。どこか猛烈な羨ましさや眩しさを覚えた私を置き去りにして、いや、置き去りというのはいささか間違いなそれであるとは思うのだけれども、私は自室に一人取り残されて、それだと帽子の向きが違う、という私の声だけが寂しく小響いた。

 そうして午後の授業を前に、私は何か物思いに耽る様に頬杖を突きながら、熱かったはずの茶をちびちびと啜っては息を吐くのであった。



 美鈴の突然の提案から早一日、事は私が思う外するすると進んでいた、というより進んでしまっていた様で、大層厳顔染みたあの館の内情は表のそれとは大きく異なるらしく、大した問題もなく、というのは美鈴の弁であるのだが、あっさり了承、結論としては全くもって構わないとの事であった。
 随分どころか大分と軽い気もしたが、それが紅魔なのです云々と自称明鏡止水な美鈴は語るのであるが、そんなこんなで話は更にとんとんと走って行き、決行は早速の明日となってしまったのである。生徒達にはこれから伝えるとしても、それにしても話が早いものだから、私も私でしっかりと驚いてしまってのであるが、美鈴が楽しみですねなんて言うものだから、納得せざるを得ないというか。
 それ以前に、明鏡止水、明鏡止水ってそういう事なのであろうか、それが正しいのかどうかは考えない事にしようと、いや、考える迄も無く絶対に違うと思うのであるが、そもそも明鏡止水の意味も良く分からなくなってはぐるぐると思案に耽っていると、対面の美鈴は珍しく無機質な顔で腕をこちらに伸ばし、私の眉間を弄るのであった。

「しわになっちゃいますよ」

 行為も好意も無碍には出来ず、しばらく弄んでは満足げに茶を飲み干して岐路につく美鈴を見送った後、何か憂鬱に動きたがらない身体に鞭、鞭という程乱暴なものでもなく強いて言えば首輪辺りであろうが、それを何とか引きずる様にして、私は寺子屋へと歩を進めたのであった。



 相も変わらず霞掛かった心持ちを悟られぬ様に表を取り繕いながら午後の教壇に登った訳であるが、大きく表せば大人という、限定すればこの上白沢は本当に良く出来た人間だと皮肉めいた確信を持つのであった。出来たといっても、それは人間的だとか道徳的だとかいう事を示すのでは無く、胸中どれだけ暗病反な言葉をだらだら言ちていようが、何重もの嫌気に差されていようが、顔や身体に出さず、表さずにして居られる事に対してのそれである。年齢を重ねると共に面白みに欠けていく己を悔いる時は幾度としてあった訳であるが、この点に関してはそれがもたらす数少ない胸張の賜物なのではないだろうか。

 裏では理由無き倦怠感やらに苛まれながらも歴史をああだのこうだの語るこの姿に、生徒達は普段の慧音先生を見るのであろうか、あるべき姿の上白沢を見るのであろうか。そんな事を考え出すと、此処でも善人ぶりたがる自分が何処かに居る様で、殊更疚しさに胸を潰されるような感覚に陥るのだから可笑しなものである。
 胸中のそれが苦虫を産めば産み出すほど、噛み潰した顔を悟られまいと笑顔を振りまく自分が、饒舌になる自分がそこには確かに存在していた。

 しかしいつもの様に、これをいつもと認めてしまうのはこれまた違った意味で悲しくなるのであるが、歴史についての長物語りを広げた所で子供達にそれが響く事は無く、この様な心持ちのお陰なのか何なのか、何処か白けきる前の空気を察した私は、今日は特別だとか、ご褒美などと、ぺらぺらと回る自分の口元を鼻で笑いそうになるのを必死で堪えながら、定刻よりも早めに授業を切り上げる事にしたのであった。

 そして最後に、明日は私ではなく美鈴が授業を行う旨を伝えると、一変して教室は沸き立つのだからこれまた可笑しくて、きっと美鈴が何者なのかも良く理解していないにも関わらず、面々明るく歯を見せ始める生徒達を羨ましく思うのと同時に、その十、いや百分の一でも良いから勉強に向けてくれれば、などと以前の私なら考えていたに違いないであろうな、と何処か遠く考えている自分さえも可笑しくて堪らない。

 まぁ、総じて興がろうとする生徒達なので、美鈴ならどうなれど平気であろう。何より彼女自身、元より愛嬌があって、どこか幼気もあり、絶対に子供から好かれるそれではあるのだから、明日の授業はさぞ楽しいのであろう。楽しいのであろうな。

 そうして何故だか私は一抹の一抹の小寂しさに身体を撫でられつつ、荒れた唇に小顔を顰める様に、生徒達が胸躍らせている声が遠く聞こえなくなる迄、寺子屋の軒下に立ち続けるのであった。



 改めて思うのは、晴天の雲脚の遅さは尋常では無く、私を幾度と退屈たらしめ辟易させる物だという事に気づかされるのである。
 此処、門前にて美鈴と言葉を交わしてから早一刻、いや、未だ一刻しか経とうとしていない訳であるが、私の脚々はじわじわとした鈍い痛みのせいで、根やら悲鳴やらを上げ始めている。

 決行日を迎えた本日、私は早々にこの紅魔館にて落ち合い、業務連絡的な会話を互いに交わすのであったが、やれ昨日教えた範囲は何某云々と長々続ける私とは対極に、とは言え美鈴歴史云々を教えるとは思えないので何だか徒労である様な気がしないでも無かったが、美鈴は相も変わらずにこにこと相槌を打つだけで、有事の際の対応だとかそういう事についての実務的な話は特に無かった。きっと万が一にもわざわざ吸血鬼住まうこの館を狙う様な有事など無い事の裏返しなのか、と一人邪推してしまう訳ではあるが。
 対した話も無いその代わりなのかは分からないが、美鈴は嬉しそうに私の頭から帽子を取って、龍の星輝く彼女の帽子を私の頭に被せるのであった。お互い普段の装いそのままであるので、見た目の色味がごてごてしているなんてものではなかったけれども、役割が分かりやすいということで無理矢理に納得する事にした。

 そうして先の通り一刻が経って、人間とは非常に勝手な生き物だと思い知らされる訳であるのだが、あれだけ、あれだけうんざりしていて逃げる様に目を逸らしていた紙筆に囲まれた方がまだましだったのではないか、などと考え始めるのだから救いもない。

 あぁ、脚が痛い。

 恐らく、こうして立ん棒になる必要は無いのかもしれない。引継ぎの際に良かったら、と美鈴は丸椅子を持ってきて、去り際門柱に寄り添わせる様にして置いて行ったのである。しかし、しかしだ。今の私は館を守る、守るといっても大した事をする訳でも無いが、門番なのである。やはり組んだ後ろ手に開足でなくてはいけない様な気がしてならないのだ。そうした所が石頭云々言われる所以なのであろうが、根っからの性分なのだから仕方がない。
 何処か羨ましげな胸中を隠しつつ、私はその丸椅子を一瞥し、残念ながら出番は無いぞと独り言ちた。脚に結ばれた古ぼけたリボンが何処か物悲しげに影を落としている様な気がして直ぐに視線を正面に戻すのであるが、申し訳ないが虫々の影を作ってやるくらいにしかお前に出来ることは無さそうだ、と大層偉そうな独白を痛む脚が嘲笑するかの様に震えだすのであった。



 そうして、微動だにしない雲々を背景に横切る鳥の数を数えて三十が過ぎ、腹の虫が動き始めた頃合いを見計らったかの様にして、洋風な編籠を片手にすたすたとこちらに向かって来るのは、給仕服に身を包んだ銀髪のその人であった。

「それにしても、妙な格好ね」

「えっ」

 自分で表すのも何だが、私はそれなりにこの自分の服は気に入っているつもりであり、というのも過去に生徒が先生の服はお空の色だとかなんとか言うものだから、それ以来袖を通す度に何か誇らしげな面持ちになっていたのも事実である訳で、しかし、何を言っているんだという顔をしているであろう私に対して、こちらを向くその顔も同じ顔をしているのだからしっかり困ってしまう。

「いや、その帽子はなんて言うか、違うと思うのだけれど。い、色合いとか」

 そう言えばそうであった。じわじわと顔が熱くなるのを感じながら、改めて身体ごと相手へと向き直るのであるが、帽子は今や後ろ手の中で所在なさげに握られているのは此処だけの話なのであるが、これは美鈴には内緒にしておきたいものである。今度は耳まで赤くなりそうであるから。

「私の案じゃ無いんだ」

「でしょうね」

 ふふ、と口元を隠して笑うのは、確か、十六夜咲夜であったと思う。神社の宴会では青髪の主の隣で顔を赤くしていた姿が朧気な記憶の残滓として思い返され、そうだ、飲み慣れぬ日本酒に四苦八苦しながらも凛としようとするその一挙手一投足に、どこかくすりとさせられた、様な記憶が薄っすらとある。
 朧気だの、薄っすらだの、はっきりしない表し方なのは同じく私も顔を赤くしていたからである訳なのだが、私は私で別に飲み慣れぬ訳でもない日本酒に十二分に酔わされて千鳥足を飛ばしていたのであった。里の堅物が締まり無く歯を見せてはむにゃむにゃと言葉を紡ぐ姿は好評だったらしい、というのは妹紅の弁。
 余計な物まで思い出したお陰で顔は耳まですっかりと茹で上がり、もはやあの時の自分を殺すとか消し去るとかでは無く、どうにも抱きしめて、なんなら慈愛に満ちた表情で撫でてやりたい衝動に駆られる様に浮き足立つ身体を押さえつけるので精一杯なのである。しかし、自分で自分の身体を抱いて頭を撫でる姿を想像し、それもそれで千鳥足の続きなのかと思える程に間抜けな絵面なものだからもう仕方が無い。
 あぁ、誰か。抱きしめながら撫で殺してくれはしないだろうか。

「大丈夫?」

 咲夜の遠慮がちな半眼に何かまずさを感じた私は、そそくさとそれを躱す様にこほんと一つ咳払いをしながら、いかにも何かありましたか、なんて表情を作る様にして、自分でもあまりに強引と思うのではあるが、強引に強引を上塗りすべく、わざとらしく彼女の持つ編籠に視線を向けて話を逸らそうと試みるのであった。

「給食、っていうのかしらね」

「それであったらこの上なく嬉しいのだけれども」

 給食なんて言い方はこれまた最先端と表すべきか、寺子屋にも導入されていない仕組みをこの館が持つとは只々感心してしまうのであるが、そんな関心よりもとりあえず満更でも無い笑みを零しているであろうこの腹の虫がまたぐるぐると動き回り始めるので、私は有難くそれを受け取ったのであった。



 想像通りの美味しさにも舌を鼓ながら、同じく驚くべきは誰かと共に居るだけでかくも脚の痛みは薄れるものか、という事である。美味しい食事や他愛の無い会話は何よりの痛みへの特効薬と言ったところなのだろうか、散々眺め飽きたこの湖畔もどこかまた、水面のきらめきやらそよ風に立つ漣のそれに感じるのか、趣がある様な気がしてならなくなるのだから分からない。頭上の程良く照る太陽の光も、そう思わせる一因なのであろうか。
 そうして気分を良くした、という表し方も妙だとは思うのだが、気分そのままに、私は此処迄に感じたそれを言わんと口を開く。

「よく耐えられると思う。この門番という仕事を。美鈴、美鈴の話だ。これを毎日しているのだろう」

「まぁ、ほら。変わり者だから」

「承知の上だ。確かに貴女の仕事もさぞ大変なのであろうとは思うのだが、如何せんこの立派な館を切り盛りしているのだから、あくまでも推測で、推測で語るのだけれども、まだそちらの方が性に合っている様な気がするよ、私はな」

「違いないわ、きっと」

 そう言いながら顔を綻ばせる咲夜はどこか悪戯っ気に溢れていた気もしたが、くすくすと一頻り笑い終わった彼女は、少しだけ静かに間を置くようにして、ぽつりと口を開くのであった。

「私も偶に代わるのよ」

「吸血鬼辺りに」

「残念ながら純血の人間よ、残念ながらね」

「門番の仕事、偶に代わるのよ。やっぱりあるじゃない。その、なんていうか、やる気が、いや、仕事に実が入らない時って」

「そういう時に、なんでかしらね、大抵美鈴の方から持ちかけられるの」

「それはもう、思う存分ぼーっとしてやる、って意気込むのだけれど。ふふ、お昼前にはもうお腹一杯で。違う意味でね」

 咲夜がどれに対してほんのりと顔を赤くしているのかは定かではないが、門柱に接した隣の外壁を後ろ手にもたれながら、どこか遠くを、いや、急にきらめいて見える湖畔に視線をやっているのに合わせるかの様に、私もぼんやりとそれを眺めるのであった。

「私達は似た者同士なのだな」

「良かった、私だけだと思ってたから」

「しかし意外だな」

「お返しするわ、そのまま」

 返事代わりにふっ、と笑いを一つ溢すと、連なるように二つ三つと続け、終いには腹を抱えながら声をあげたくなるほどに息を漏らしてしまうのであった。

「私も倣って、三つ編みにしなくてはな」

「お嬢様が見分けが付かなくなっちゃう。同じ色だし、それに色々と」

 違いない。きちんと話をするのは今日が初めてにも関わらず不思議な話ではあるが、咲夜が言うのだからそうなのだろう、素直にというのも変ではあるが、そんな気がしてならなかった。

 そうして話を咲かせる傍ら、私はしっかりと咲夜持参の食事を心ゆくまま平らげ、この陽気と景色を前に食の進まぬ者はいないと確信と共に礼を伝えた。それこそ毎日の事であるなら別なのやもしれぬが、私には十二分な食友となってくれている。勿論味が良いのは表すまでも無いのであるが。
 口内の残滓を紅茶で流し入れ終わった頃、咲夜はいそいそと編籠の中身を整えながらこちらに顔を向け、問い掛けてきた。

「寺子屋というのは見学自由なのかしら」

「そわつくとは思うが、気にしないでくれ」

「子供達が?」

「美鈴がするのか?」

「させにいくのよ」

 そうして片笑んだ顔はそれこそ真反対ではあると思うのだが、どこかそれに美鈴が重なり見えた気がした。にこにことした彼女のそれとは異なるのであるが、何処か悪戯っ気に富む所は本当に似ていると思えて仕方ないのである。しかし、私達は似た者同士故、そうなると私も美鈴に似ているという事になるのかと思うと、とてもそうには思えなかった。

「後日談を楽しみにしているよ」

「ご期待に添える様務めましてよ」

 相も変わらず悪戯な笑みを浮かべながらその支度に戻る帰りがけ、実はね、と何処か幼い妹に対する幼い姉の様に少しだけ胸を張りながらもはや耳打ちに近い程の小声でぽそぽそと、咲夜は門番のコツとやらを教えてくれたのであった。



 そうしてしばらくした後、依然悪戯染みた背中でさとへ向かっていく咲夜を見送り一刻半、彼女のそれよりも白の強い銀髪がのたのたと湖畔の反光を受けながららへやって来るのが見えたので、何かぴんと来るものがあり、私は頭の帽子を深く被り直しそれらしい顔を作りながら、その姿が大きくなるのをじりじりと見つめていた。
 そして、どんどん深く被るものだから、帽子の影で殆ど隠れた視界の下部に見慣れた赤い山袴、いわゆるもんぺが少し入り込んだその後も、相手の言葉をひたすらに待つのである。

「似合ってるね」

「そんなことはないだろう」

 そんなことはないだろう、そんなことは。
 これが厄介な事に本気なのかどうかが分からない。ある程度の付き合いをしてきたつもりであるが、未だにそこが読み取り辛いのが目の前の、そう、この藤原妹紅の人となりというか何と言うか。
 改めて帽子のつばを上げ顔を合わせて見るものの、相も変わらず表情に乏しい顔でこちらをじいと見つめているのだから困ったものである。

「今日一日門番なんでしょ」

「紅慧音だ」

「向こうの上白沢から聞いた。面白い人だね」

「違いない」

 何故寺子屋の美鈴と妹紅が遭遇したのかは良く分からないが、今日の件を聞いて冷やかしに来たとか何とか言うものの、妹紅も私も特段普段と変わり映えせぬ他愛も無い会話をしては何となく鈍くきらめく湖畔を眺め、また一つ二つと喋ったかと思えば、だらだらと飛ぶまばらな鳥群を見上げていた。
 それを数回繰り返し会話の途切れる割合が増えてきた頃合いで、妹紅もまた門柱隣の外壁に、今度は頭に後ろ手ではあるものの、もたれながらにぽつりと口を開いた。

「別に良いんじゃない。こういう日があってもさ」

「うん?」

「相変わらず慧音は難しく考え過ぎる」

 どうせ考えるなって言ったって変えられないんだろうけどさ、と妹紅はからからと薄笑を浮かべながら少しだけ愉快そうに言うのであるが、それが何というか、否定をしようにもそれはそれで図星である事になりそうで躊躇ってしまう訳であって。

「ほらまた」

 いつの間にか正面に立つ妹紅に眉間をぐにぐにと弄られながらも、またこれかと思いつつも、今度は視界を紅白に遮られたままに私は口を開いてみる事にした。

「固い頭で苦慮している姿を見せる事が、何というか、その姿こそが」

「私を私たらしめる要素であって、有るべき姿なのかと。でももっとこう、何というか。結局何を悩んで考えようが、私は私を演じることが出来ていたんだ。昨日だってそうだ。此処は思う以上に、その、大雑把な場所なのかもしれない、というより」

「私にも優しい場所なのかもしれないな」

 独白染みた私の言葉のせいか否かは不明であるが、いつの間にか眉間をいじる手を止めていた妹紅は、またまた定位置、この短時間で定位置も何も無いが、壁にもたれて同じ様に呟いた。

「大丈夫だよ、理由はよく分からないけど」

「そんなものなのか」

「そんなものだよ」

 妹紅はいつもそうなのだ。
 物を言うにしても根拠が有るんだか無いんだかよく分からない、そんな風に聞こえてしまうことが、というよりそういう性分なのだろう、往々にして多々と有る。今回も例に漏れない物言いで、私を妙に納得させるのであった。

 だから、というのは可笑しな、いや至極可笑しな話でしかないのだが、納得させられるだけさせられっ放しであるのも何か癪であったので、私も私で酷く勝手な事を嘆願してみる。

「支度をお願いしたいのだが、夕飯の」

「急に都合が良くなった」

「そんなものだ」

「そんなものなのかな」

 妹紅が訝しむこともせずにやりと片笑むものだから、私もそれにつられて同じ様な顔をしているのだろう。

「散らかっているかもしれないが」

「気にしない」

 そうしてのたのたと里の方へと帰って行く妹紅の後ろ姿が見えなくなるまで、そして見えなくなってからもそちらをぼんやり見つめながら、馴染んできた頭の帽子を少しだけ浅く被るのであった。



「門番というのは、なんだ。脚が痛い事が分かった」

「だから椅子に座る事にした」

「そんな自分を認めてやれた、一日だった」

 太陽が顔を落としかけ、館の輪郭が空に混じって曖昧になった頃合いに、美鈴と咲夜は門前へと帰ってきたのであるが、夕飯の支度をと何故かしてやられた顔をしながらそそくさと先に館へと戻っていった咲夜を横目に、今日一日の感想染みたそれを美鈴相手に独白すれば、そうですかと相も変わらぬにこにことした顔で頷くものだから、少しだけ恥ずかしくなって、ちらりと目を逸らさざるを得ない。

「明日からは、上白沢として戻れそうだ」

「心惜しいですが、お返しするとしましょう」

 そう言いながら、美鈴は頭の帽子を取って渡すので、私もそれに倣って頭の帽子を返すのであるが、一日中共にいたそれを手放すのが、どこか寂しいような気もしてならなかったが、二つ帽子を手にしていても被る頭は無いものだから、諦めて美鈴にそれを返した。

「授業の方はどうだった。心配はしてないのだけれども」

「ばっちりですよ、それはもう」

 聞けばどうやら、咲夜は返り討ちにされたらしい、というより、画策空しく巻き込まれた様で、道理で先程の顔が妙に紅かったのは、夕暮れのそれだけでは無かったのかと合点がいった。

 そうして私は、美鈴と丸椅子に礼を言って、妹紅の待つ自宅へと踵を返すのであった。



 その翌日、寺子屋の戸を前にして私は思うのだ。
 きっと今後も幾度と無く固い頭が痛くなる事には違いないが、少しだけ、未だほんの僅かではあるものの、凝り固まった頭を解してやれそうな、実の自分を許してやれそうな気がして、独り薄笑いを浮かべるのであった。

 そんなものだろう。
 そうして私は筋肉痛で痛む太腿を擦りながら、一つ気合いを入れる様によしと呟いて、何処か背筋を伸ばすようにして戸を開けるのであった。