※東方projectです。
※地の文です。






「えっと、咲夜ちゃん」

 部屋に流れるなんとも間の抜けた静寂。普段から気の張った部屋という訳でもないが、今の美鈴の部屋には特段居心地の悪い気を感じる。
 そんな静寂に肌を刺されながら、美鈴は頬を二、三度掻いた。

「……どうしたんですか?」

 四度目の問いかけにも、咲夜の口は依然として固く結ばれており、返事どころか反応さえも返ってくることはない。
 試しに美鈴が頭を撫でてみるものの、変わらず反応は皆無であった。

「頭痛いとか、寒気がするとか」

 ふるふる。

「お腹すいちゃったのかな」

 ふるふる。

「分かった。寂しくて寂しくて眠れないんですね!!」

 ……ふるふる。

 残念。ひどく残念である美鈴。
 これでもかという程に、ただ俯き首を振るだけの咲夜には、美鈴の形の良い眉毛も八の字にするほかにあらず。

 その原因は反応の乏しさだけではない。
 何故かその十六夜咲夜、白く幼い手のひらで右目を覆い隠し続けているのである。
 意味を理解することの出来なかった美鈴は、一度目の問いかけにて何か目の病気にでもと顔を青くしたが、その返事も例に漏れず横に首を振るだけであったのだ。

 咲夜は咲夜で時折顔を上げては、察してと言いたげに何かを訴える様な視線を投げてくるものの、一体何を察してあげるべきなのかは全くと分からない美鈴であった。


 
 特に変わったこともなく、普段通りと表現されるであろう静かな夜。美鈴の身体も普段に倣って程良い眠気に目を擦った。
 だらだらと寝間着に着替え、歯磨き、髪梳き諸々、寝支度を済ます。壁に掛かった鏡に映る気の抜けた顔を見るなり、あくびを一つ吐き捨てる。
 仕上げとばかりに水差しの麦茶で喉を潤いしている最中、こんこん、と部屋の扉が控えめに鳴いた。

 美鈴は思わず眉尻を下げた。このような時間に、このような小さいノックをする人物、もとい人間は一人しかいない。
 あぁ、愛しの咲夜ちゃん。かわゆい銀髪を揺らしながらこの紅暗い廊下を縮こまって来たに違いない。なんともなんとも抱きしめたい。
 続けて、一緒に寝て欲しい云々美鈴お姉ちゃんが恋しい云々と恥ずかしげに呟く姿を豊かに想像を働かせて、口元を緩ませながら美鈴はドアノブに手を掛けた。

 しかし、扉を振り開けて見たならば、咲夜はなんとも対照的で。夏間近な湖の妖精の様な表情を浮かべているではないか。更には顔に手を当てており。
 そして招き入れるままに部屋に入った咲夜と、先程の様なやり取りを繰り返し、現在に至る。



「あっ、今度こそ。それは何かのおまじないですね」

 ふるふる。

 揺れている。鈴の様に。鈴だけに。うん。
 どうせならりんりんと元気な縦揺れだったら良かったのに。
 変わらぬ反応と粗末な冗句に美鈴は再び苦笑いを浮かべた。



 咲夜が館で暮らす様になってから、満月が三度顔を出した。
 煤けた布切れの様に行き倒れになっているところを美鈴に保護されてから、レミリアの運命が云々という主の威厳たっぷりのお言葉によって、咲夜は晴れて紅魔館の一員として迎えられた。
 あまりにあっけなく進む自身の受け入れに狼狽えていた咲夜であったが、お構いなしに振る舞うのが紅魔流なのである。
 
 実を言えば咲夜の名前も、その当日に授けられたものだ。名前が有るのか無いのか、失念したのか分からないのか。
 そんな少女に対して、レミリアは大層たっぷりとした演技と態度で、咲夜という名を口にした。
 これにはそれぞれ賛同の意を示し、満更でもないと羽で語るレミリアの横で、咲夜なる少女は無言で頷くだけであった。
 
 その後、十六夜という名字も併せて送られる訳であるが、出会いが十六夜の下であっただとか、一つ先を逝く美学だとかの崇高な意味はない。
 咲夜自身はこれから先、意味深な名字にレミリアの愛を感じながら大きくなっていく訳であるが、その採用理由は単純なものであった。
 館の主曰く、語感だそうだ。確かに、月に関したのは吸血鬼故の由来はあるだろうが、名字自体は語感で決めたのだとか。
 望月咲夜、立待咲夜、有明咲夜という運命も無きにしも非ずという裏話を当人が知り、失意に膝を抱えるのはまだまだ先の話である。

 話は戻って十六夜咲夜。最初はとにかく暗かった。表情には常に陰があり、何をしようにも笑も無ければ、歓も無し。
 感情の起伏はあれど、全て暗へ暗へと大きくなるばかり。レミリアのむずがゆい武勇伝や美鈴の伝統曲芸、パチュリー秘伝の童絵本も、眉をも動かさぬその氷情を崩す事は叶わなかった。
 しかしその程度で諦める者達ではない。紅魔館という名を訝しむ程の豊かで温かい暮らしに当てられれば、咲夜も笑う様になるのだと信じて疑わなかった。
 事実、天真爛漫には程遠くも、それぞれとの触れ合いに興味を示し、頬を緩ませ、時には眉を上げて驚く事を咲夜は身につけたのである。
 昨日だとで、そう。鼻歌交じりで花壇に水をやる咲夜を見て、美鈴は胸を震わせていた。眉尻をだらしなく下ろし、にこにこと咲夜を見守るその姿は、それはもう奇妙と表わすほかあらず。

 それなのに。それなのに、だ。
 今日の咲夜は以前の咲夜で。何を問おうにも大した応えが有るわけでも無く。
 
 だが美鈴には分かる。これは「悲」なのだ。口は語らずとも、滲み出づる悲壮感が美鈴の肌を刺しては覆い、まとわりつくのだ。
 さながら、咲夜は今、マッチを無くしたマッチ売りの少女。盗まれた、と換え表わしても構わない。未来に向けての希望が見えず、寒さに身を刺されながら頭を抱えているのだ。
 美鈴の顔にも真気が差す。表わすには、そんな少女を救えるのは私、紅美鈴だけであると。
 もっとも、頭を抱えている自分が胸の隅にいることは間違いないのだが。

「手、外して良いですか?」

 とりあえず美鈴は、不自然なその右手に狙いを定めることにした。しかし咲夜からは依然として返事はなく、もはや首振りさえ見られない。
 直感が美鈴に語りかけてくるのだ。おそらく元凶はこの手の中に。別に語りかけなくても一目瞭然であるのだが。
 
 美鈴がそっと咲夜の右手に手を伸ばす。その柔らかな感触を楽しみつつ咲夜の手を退かそうと試みるものの、咲夜の右手は動かない。
 じわりと力を加えてみても、震えはすれど動きはしない。時折咲夜の顔が力む様子は、状況が状況でなければ茶化されていただろう。
 結局、美鈴の緩急攻撃にも、咲夜の右手は動かなかった。

「くすぐっちゃいますよ」
「だめ」

 いやらしく開閉させる美鈴の手を左手で振り払う咲夜。美鈴は大げさに泣き顔を作りわざとらしく目元を拭った。
 
 やっぱり、この中だ。
 確信した美鈴は、鋭くなりかけた眼光をひた隠し、一層顔の筋肉を柔らかくする様に意識しながら、母性をふんだんに含んだ目で咲夜に問い掛けた。

「ちょっとだけですから、ね?」

 本当にちょっとなのかは美鈴自身にも分からない。
 しかし、咲夜との会話もとい美鈴から咲夜に対する一方的な問い掛けをこのまま続けたとしても、埒が明かないのは火を見るよりも云々。
 意地を張ればとことんまで張って張って張り続ける咲夜のことだ。いつの間にか明るい空が、という話も十二分にあり得る。

 ここまでの美鈴の葛藤を知ってか知らずか、いや、確実に知らない気がするが、咲夜の手は依然として動かない。
 
 美鈴は芯から困り果てた。もういっそのこと、本当にくすぐってしまおうか。
 きっと笑いがこの状況をごまかしてくれるに違いない。二人であはあは笑いながら、この陰気くさい部屋の空気を吹き飛ばしてくれるだろう。
 それが大人か。大人という奴か。そもそも妖怪に大人も子供もあるのだろうか。お嬢様はどっちなのだろう。あの見た目で大人というのもいかがなものかと、しかし子供と言っても500年云々。

 美鈴がむずむずと唇をすり合わせていると、咲夜が恐る恐る顔を上げ、僅かながらも口を開いた。

「……わらわない?」

 この状況において、何を笑おう紅美鈴。本当にくすぐってしまったのならば話は別であるが。
 美鈴の口からはそんな近似揚足取りが喉元から飛び出しかかるも、なんとかかんとか飲み込み下ろし、首を一つ縦に揺らした。
 待ちに待った咲夜からの主張なのである。美鈴はその頬を引き締め在り続けることを、固く固く決意した。

「大丈夫、笑いません」
「……ほんとうに?」
「約束です。私は門と約束だけは破らせませんし破りません」

 決まった。らしい言葉が口から出たことに上々の美鈴であったが、一方の咲夜は未だにどこか煮え切らず。今ならその視線で水泳が可能であろう。
 様々揺れる咲夜の肩をそっと抱く様にして、美鈴は柔らかな口調で続けた。

「少しだけ、ね?」

 少しだけ。その言意を咀嚼する様に視線を右左と移した咲夜であったが、やがてにゆっくりと上目遣いになったと思えば、小さく小さく頷いた。
 よく出来ました、と言わんばかりに美鈴が頭を梳き撫でると、咲夜は少しだけ顔に朱を混ぜ、目を伏せた。


 そしてしばらくその愛情を味わった後、顔は俯くままに、咲夜はゆっくりと、ゆっくりと、右手を顔から解き離した。

 
 
「あっ」

 思いに反して、声を発したのは美鈴で。
 咲夜のちいさな手から現れたのは、右眉だった。

 当たり前である。人間、妖怪、目の上には眉がある者が大半だ。
 ただその形こそ者それぞれであり、その色濃や形によって顔の個性や印象を持たせていく。それが眉毛である。

 そして、現在の咲夜の眉毛が与える印象はというと、「異変」、「怪奇」、「混沌」であろう。
 その眉は、美鈴の想像する眉像を力一杯に叩き潰し、粉々にすり潰した。
 
 まず、咲夜の右眉には直線という概念が存在していなかった。
 美鈴の脳裏では、いつかの過去に見かけた刀、のこぎり刀の姿がちらついていた。
 平たく表せば、でこぼこやざらざら、ぎざぎざという言葉が使われるのであろう。

 眉の輪郭だけでなく、その眉腹もまた、目を疑う姿もとい形態をしていた。
 まるで色取り取り咲いた花壇に現れた、奇っ怪な模様の様に。外の世界では、ミステリーサークルと呼ばれる云々。
 その様に毛の無い穴ぼことなっている部分もあれば、一部は咲夜元来の銀色で健康的な眉並みが残ってしまっており、その対比がより眉が持つ奇特感を増幅させていた。

 その見てくれ最悪な眉の持ち主はというと、美鈴の反応に再び心乱され、顔に影を落としていた。
 咲夜の顔は幼いながらに整っている、というのは館の主の談。その顔立ちの良さもまた、眉の違和感を強めるのに一役買ってしまっているのだから、目も当てられない。



「ぬ、抜けちゃった、とかじゃないですよね!?」

 美鈴の顔は焦りの色で塗り潰される。
 初見で原因が分かるはずもなく、また見たこともない酷眉である。
 何か流行の疫病か、もしくは新種の呪いか。幼い身に降り懸かる災厄という可能性に鳥肌を起てた。

 しかし咲夜は、ただ静かに首を横に振るだけであった。
 美鈴は胸をなで下ろし、息を吐いた。そうでないと困る。困るなんてものじゃあない。
 勝手に抜けたと言われようものなら、美鈴の知識では太刀打ちできない程、得体の知れない何かであるに違いないのだから。

 だが、そうなのだ。咲夜の右眉はそれ程までに人の心を不安に掻き立てる。そんな眉毛なのだ。

「あの」
「ちがうの」
「えっ」

「これはちがうの」

 疫病や呪いに対する否定なのか。それとも別の意味を持つ否定なのか。美鈴にも詳しくは分からない。
 でも、きっと違うのだ。何がと問われれば、困るのだが。咲夜がいうのだからそうなのだ。違うのだ。
 強引に自身を腑に落とした美鈴は一つ間を置いた後、咲夜を伺う様にゆっくりと、口を開いた。

「自分で?」

 どこか仰々しいお辞儀をしているかの如く頭を垂れながら、咲夜は消え入りそうな声でそれを肯定した。

 そして咲夜は顔を上げることもなく、人差し指同士をすりあわせては離しを繰り返す。
 美鈴は既視感を覚えた。その既視感を追いかける様に、咲夜の姿を見つめていると、ふとその背中に黒い羽が見えるではないか。
 お嬢様だ。お嬢様が言い訳やら言い分けやらを嫌々発する時の姿と相違ないのだ。まさかこのような形で親の背中を子に見るとはと、美鈴は苦ったるい笑みを浮かべた。

 咲夜の指々が十数と頭突き合った後、静かに咲夜は顔を上げた。
 見上げた美鈴の表情に違和感を覚えながらも、身体で恥ずかしさや後ろめたさを表現するのと同時に、声を発した。

「めいりんみたいにしたかったの」
「あら」

 美鈴は端先へと線のなめらかに整った眉毛を吊り上げた。その眉毛は二日前に切り揃え、手入れたものだ。今の状況では、咲夜との対比によっても、一層美しく見栄えてしまっていた。
 美鈴は眉に対して特にこれといったこだわりがあるわけではない。ただ、一人の女性として、最低限の身だしなみに気をつけている自覚はあった。
 ましてや館の顔とも表される門番なのだ。今以上に容姿に対しての美意識を持っていたとして、何もおかしいことはない。
 
 いやしかし、咲夜ちゃんもそんなお年頃なのかしら。でもちょっとおませさんだと思うのだけれど。美鈴は胸中独りごちながら、自分の右眉を指腹で撫でた。

「でもね、ちがうの」

「めいりんのまゆげはこんなにきたなくないもん」

 美鈴へと上目を使う咲夜の瞳は、今にも溺れんばかりに潤い震えていた。
  
 そんな咲夜を見た美鈴は、そっかぁ、とだけ口にした。
 美鈴は膝を曲げ視線を咲夜の高さに合わせると、僅かに口元を緩ませながら、咲夜の眉をそっとなぞった。



「じゃあ、今から私とおんなじにしましょう」



 重たげな空気を吹き飛ばす様な明快な美鈴の声。
 咲夜はその声と笑気に満たされた顔を聞き見ては、目に涙を溜めることも忘れて、ただただ呆然と口を開けるほかになかった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「はさみ」
「布を切る様な?」
「うん」

 美鈴の部屋は紅魔館では珍しく、白茶を基調とした造りとなっている。
 これは努力の賜とでも表わすべきか、美鈴が慣れない大工の真似事に没頭した結果、館の雰囲気とはかけ離れる落ち着きある空間を手に入れることが出来たのだ。
 決して広い訳ではないが、雑貨や物も多くなく、また木目調の家具を主とするその割り振りは、一人二人が息吐くには十分な居心地と暖かみを演出していた。

 そんな美鈴渾身の部屋の中央で、咲夜は丸椅子に腰を掛けていた。
 もはや美鈴にとって、脚立代わりでしかない四つ足の丸椅子も、咲夜にとっては特等席。
 いつからか、そして美鈴が決めた訳でもなく。美鈴の部屋を訪れた時には、丸椅子の上が咲夜の定位置となっていた。
 
 誰に言われる迄もなく、両手を重ね膝上に置きながら座り居るその姿は、質素な西洋人形を彷彿とさせる。
 しかし不慣れか緊張か。咲夜の首襟にはタオルが掛けられており、ふわついた肌心地に身体を度々揺すっていた。

「眉毛を切る時は、このハサミを使うんです」

 美鈴は棚から一足大のポーチを持ち出し、その中からこれまた掌に収まる大きさのハサミを取り出した。
 銀色に光を映し返すその小柄な身体は、咲夜の興味を引くには十分な個性であった。
 咲夜はその化粧ばさみを受け取ると、意味も無く空ばさみで音を鳴らした。

「かわいい」

 咲夜はその化粧ばさみが手に馴染む感覚に目を輝かせていた。
 まさに咲夜の手に合わせて造られたと言われても何も違和はないだろう。
 右手の化粧ばさみが、何だか誇らしげに見えたのは美鈴だけではないかもしれない。

 美鈴はふと、咲夜が用いたはさみについて思い起こす。
 布を切る、つまり裁ちばさみを使って眉を切ったと考えられる。
 美鈴の背中を冷気が擦り撫でた。裁ちばさみだなんて、美鈴の手にも有り余る程の体躯ではないか。そんなものを使って目の上にある眉を、ましてや咲夜の儚くささやかな指で操っていたとは。

 そんな美鈴の焦気を知る由もなく、咲夜は相も変わらずに空ばさみを鳴らしていた。

「咲夜ちゃんみたい」
「それはちがうもん」

 んふふ、と口元を緩ませながら、美鈴は化粧ばさみを受け取った。
 その最中、咲夜の顔が美鈴の目に入る。いや、顔じゃない。眉、それは大層悲惨な眉毛が。
 今は何より、このぎざぎざ眉毛をどうにかするのが最優先なのだ。はさみの扱い方については、後日の家事見習いの時にでも教えることにしよう。
 
 乾いた金属が重なり合う音が部屋に跳ね響く。
 美鈴の指も咲夜と同じく、空ばさみを鳴らし奏でた。
 美鈴は座る咲夜の正面に膝を曲げて位置取り、咲夜の顔を大げさに覗き込んだ。

「それじゃあ切ります。くしゃみはダメですよ」
「はい」

 美鈴のおどけた顔に迫られた咲夜は、慎ましく吹き出した。
 そして前髪をいそいそと左右に分け、気持ち背筋を伸ばし美鈴を向いた。
 
「おねがいします」

 美鈴はどこか涼しい顔を作り、咲夜の顎を親指と人差し指で掴む。
 少しだけ顎を上げさせ、いよいよはさみを右眉尻にあてがった。

「あっ」
「どうし」

「くしゅん!!」

 紅く長い髪をこれ程なく大胆に揺らす美鈴。
 その身体は一回では満足しなかった様で、続けて二度、三度としたものだから、おまけで鼓膜が裏返る様な感覚に襲われた。

「失礼しばした」
「あ、あぶなかった」

 美鈴が呻り声を上げながらちり紙と戯れている間も、咲夜の瞳は白黒としていた。
 そのちり紙共をごみ箱目掛け投げ捨てている間も、咲夜の瞳は白黒と。
 美鈴が咲夜の目の前に位置取り直しても白黒とさせているものだから、美鈴はまた苦ったるい笑みを浮かべた。

「わらいごとじゃない」
「自分でしちゃあダメですよね」
「きをつけてください」

 はい、と素直に開き応える美鈴。
 そのような咲夜の物言いや腰に手を当てる仕草は、恐らく美鈴の真似であろう。
 美鈴が咲夜やレミリアを注意する時の癖である。少しだけしたり顔でいるものだから、美鈴には可笑しくて仕方無かった。

「ゆびきり」
「嘘吐いたら針三本のーます」

 美鈴の提案もとい約束に、咲夜の指は切られない。
 
「すくない」
「そうですか?」

 不満げな表情をただただ美鈴に向ける咲夜。
 調子が出てきたじゃないか、と対した美鈴はどこか満足げである。

「ごせんぼんのーます」
「ゆ、指切った」

 いよいよ美鈴がはさみを眉尻に添えると、咲夜は金属の冷たさに身体を震わせた。
 眉間やら目尻やらに深い皺を作り、時折眉をヒクつかせる姿は、美鈴にカメラの不所持を後悔させるには十分であった。
 
 今、信頼を。全幅の信頼を受けているの私。そんな優越感なのか高揚感なのか当人にも分かり得ぬ感情に心躍らせながら、美鈴は刃指に気を集中させる。
 この信頼を裏切る訳にはいかない。この紅美鈴とこのはさみが、咲夜ちゃんを美眉に導くのだから。

 美鈴は持てる技術を全て、咲夜の右眉に注ぎ込む。眉毛を整えるのに大層な技術も何もあるのかは図書館の主だって頭をひねるに違いはないが。
 左手の指々で眉元の地肌を伸ばす様に捺し広げながら、右のはさみにて段々の眉縁を整線していく。
 繊細に。丁寧に。蟻の頭程の範囲と幅ではさみを交差させていく。ゆっくりと、少しずつ。

 調子は上々で、はさみの反応も非常に良好だった。
 咲夜もこの状態もとい時間に慣れ着いたのか、先程までの妙な硬さは消え失せていた。
 お客さんもそこそこにくつろいでいらっしゃる。もし門番を引退したら、理髪店でも開こうか。美鈴の調子の良い妄想劇が幕を開けようとした、その時。


 うん?
 咲夜ちゃん、眠いのかしら?

 気付けど時は既に遅し。危機的状況というものは往々にこの旨の言を使いたがる。
 淡々と落ちていく館の花瓶。つま先を掴む路傍の石々。眼前に迫る敵々の攻撃。
 時間停止の類いが操れるのなら話は別だが、生憎美鈴には気使い、気遣い云々しか在らず。

 既に遅いのは、突飛に鼻を襲う衝動だろうと変わりない。

 何故に。何故に、美鈴の右手はそうしたのか。刹那、はさみを投げ飛ばす位の器量を持ち合わせていなかったのか。
 別に投げ飛ばすなどと大層なものでなく、はさみを眉から離しさえすれば良かったのだ。
 しかしはさみが動きを止めることは無く。後にこの無反応こそ、美鈴が自責やら後悔やらの念に押し潰される原因となってしまうのである。





「くしゅん!!」

 咲夜もまた、大きく身体を震わせた。






「終わりましたね」

 その一言に、咲夜は一つ息を吐いた。

「じゃあ今日はもう寝ましょうか」
「えっ」

 勢いよく、それはもう勢いが良く、咲夜の顔が美鈴へと向けられた。
 対する美鈴の顔は、咲夜の視線を追いかける様に同じ方向へと背けられた。

「夜更かしはオバケの素で」

 ヒクつく美鈴の口元に、咲夜の視線はどこか鋭さを増す。

「まゆげみせて」
「この部屋鏡置いてなくて」

 咲夜は丸椅子から立ち上がると、わざわざ美鈴の前に立ち直り、壁に掛かった鏡を指した。

「可愛い子は映さない鏡なんです」

 未だに美鈴の顔は咲夜を向いておらず。
 視線を縦横無尽にちらつかせながら、むずむずと言葉を紡いでいた。

「だっこして」
「や、やっぱり早く寝ないとオバケが」

「めいりん」
「はい」



 咲夜は、旋毛から発した声でぴぎゃあと鳴いた。






 咲夜のお目々の上には、眉がある。
 当たり前だ。人間、妖怪、見れば神やら仏にも、揃って眉は付いている。眉無しなんぞは鯉鯰の類くらいではなかろうか。
 個性印象云々は省くが、これらはここらを緩んだ頬で飛び回る妖精達でも知っている。

 その形は者それぞれとはいえ、眉というものは目頭の真上に始まり、目尻の真上に終わる。内から外へ、太く細く。
 この要素を持つものこそ、一般的な眉と表わすのが常である。勿論として、個人差はあるが。

 十六夜の、十六夜咲夜の眉はというと。
 目頭の真上に始まり、黒目の入り口に終わりまして。内から内に、太く太く。
 それでおしまい。そこから先には、点々とざらつく程度の地肌のみで、眉という眉は存在しない。残念である。

 なんというか、平安のかほり。

 いとおかし。



 仕方なかった、わざとじゃなくて。そんな自己完結の責任逃句を胸中ひたすら並べる美鈴。
 独りの幼気な少女を濡らしに濡らす原因に至った理由は、それはもう「しょうもない」の一言に尽きるだろう。
 咲夜の右眉はくしゃみによって見るも無惨な大変身を遂げてしまった。大丈夫、大丈夫ですからともはや紛れもしない苦しさの中、美鈴は難題への挑戦を余儀なくされた。
 落ち着け、落ち着くのよ美鈴。まずは左眉の長さを揃えれば。うーん、今度は右が少し長い。ちょっとだけ、もうちょっとだけ短く。あらら、今度は左が云々と。
 左右の長さが揃った頃、そこにあるのは線ではなく。均等と長さのとれぇどおふ。

 美鈴のベッドを占領するのは、羽毛布団のかたつむり。
 ひどい。めいりんひどい。どうして。
 まろ眉少女の恨み節は、美眉な美鈴の心を握り絞った。本当に何故、美鈴の指々ははさみを投げ放さなかったのか。
 なんとも可笑しな原因なのに。誰だって耳にすれば吹き笑うことに違いない。美鈴はほろ苦い笑みを浮かべるが、当の因源地では笑うどころか表現貧乏が精一杯の激情を体現していた。

「ごめんなさい」
「うわあん、あうあうあう!!」

 悪いことをしたら謝らなくてはならない。それは外だろうが幻想郷だろうが変わりは無いのだ。
 果たして美鈴の行為が悪いことであったのかは、誰の知る由でもない。しかし、今の咲夜にとって美鈴は諸悪の根源に他ならない。
 だから美鈴は謝るのだ。謝らなくてはいけないのだ。いや、謝るしかないのだ。
 
 ただ、その謝罪が咲夜に受け入れられるのかは別の話で。

「でもかわいくなってると私は」
「うそつき!!」
「嘘じゃないです」
 
 殻が歪な輪郭を描く。

「でもめいりんはこんなまゆげじゃないもん!!」

 元も子もない。現に美鈴の眉は丸くないのだから。
 苦虫を噛み潰しながらも、美鈴は震える布団団子の背中をさすった。
 


「本当に、ごめんなさい」

 東洋妖怪数百年の歴史の中でも、この状況を打破する策は学んでおらず。
 まさかこのような経緯にて今までの半生を悔やむとは。美鈴は垂らした髪の奥で、胸中独り言ちた。

 

 布団越しに背中をさすり続けて数分間。
 すすり泣く声も次第に小さくなり、身体のしゃくりも今はない。
 
「もうここからでない。めいりんはゆかでねて」
「そんな」
「ずっとここにいる」
「お嬢様が悲しみます」

 美鈴と布団が発する布擦れの音に紛れて、今にも消え入りそうな声が聞こえてきた。

「ぜったいにわらわれちゃう」

 どうしたものか。
 咲夜が美鈴の部屋にきてから、何度この自問を繰り返したのだろう。
 それにしても、どうしたものか。
 今なお心もやつくまま、美鈴は口を開く。

「笑いませんよ」
「そんなまゆげじゃはずかしいわ、って」
「とんな眉毛でも咲夜は咲夜よ、って言いますよ」

 もぞもぞと布団を鳴らした後、咲夜が首だけ布団の外に出したので、美鈴も似た様な体勢を取りつつ顔を咲夜に近づけた。
 
「……ちがうもん」

 美鈴は咲夜の額に己の額を合わせて囁く。

「信じて下さい」

 これ以上無い口調で、優しく、温かく、柔らかく。

「紅魔の絆を」


 
 美鈴にはもう返事など不要だった。
 咲夜が小さく、本当に小さく頷くその姿だけで、十分であろう。
 それが紅美鈴と十六夜咲夜の信頼関係であり、お互いの心が通じている様なのだから。






 その後美鈴が、もう館の中は暗くて仕方がないから、オバケが出るから、折角だからなどとあの弁この弁広げ散らして、結果咲夜を抱きしめて床に入ったのは書くまでもない。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 巡り巡って次の朝。高々数時間で何が巡るのかなんて疑問は湖にでも投げ捨ててしまえば良い。
 本日の幻想郷は正に雲一つ無き晴天。太陽の光達には、直接館にさんさんと降り注ぐ者もいれば、湖の水面から跳ね映されて館の紅を鮮やかにする者までいた。
 そんな光達を存分に浴びながら、小鳥の群れが館の屋根で声を合わせて鳴いていた。
 
 その秋晴れは、閉め切ったカーテンの隙間からも光を注ぎ込み、館の中に明るさをもたらした。
 惜しむらくは館の主が紫外線を苦手とすることか。

 その紫外線アレルギーのレミリアはというと、咲夜と美鈴と共に朝のテーブルを囲んでいた。

 艶やかな眉をしかめるレミリアを余所に、咲夜はバターナイフを手に取った。
 幼い手々と口には少々不釣り合いな丸パンにバターを塗り、満足げな口元にちぎり入れる。
 牛乳の入ったグラスを手に取り、髭を生やすこともなく喉に入れる。
 そしてレミリアから学んだ通り、澄ました顔で口元を軽く拭く。
 そうして再び咲夜がバターナイフを手に取ったところで、レミリアが眉間にしわを刻んだままに口を開いた。

「咲夜」
「はい」
「どうして美鈴の膝の上に」
「えっと」

「今日はそんな気分なんです」

 主の疑問に答えあぐねる咲夜に代わり、美鈴が食い気味に返事をした。

「あなたは食べないのかしら」
「私は後ほど」

「そうなの?」
「そうなんです」

 咲夜が座っていたのは、椅子ではなく美鈴の膝。
 世話焼き美鈴の事だから別に不思議な光景でもない、というはレミリアの独白。なんならレミリア自身だって、その見た目も相まってか、膝の上やら胸の中やらによく掴まっていた。
 しかし、レミリアが怪訝な表情を浮かべるには別の理由があった。

 美鈴の手々が咲夜の目々の上を押さえているという格好が、レミリアには不思議でならなかった。

「何よそれ」
「なんでもありません」
「まじないの一種?」
「そうです。ほら、あの、東洋の」

 手の塞がっている美鈴の代わりに、咲夜が大げさに身振り手振りを行っていた。

「嘘ね」

 レミリアの懐疑的な視線は、途切れることはない。

「何かを隠しているわね」
「気まぐれですよ、気まぐれ」
「言いなさい」
「何もありませんてば」
「私が気付かないとでも」

「め、めいりんあーん」
「あ、あーん」

「まったく、何なのよもう」

 レミリアは顔に渋さを加えながら、カップの紅茶を空にした。



 原因から言えば、咲夜が怖気づいたのだ。

 今朝の咲夜が目を覚ましたのは、美鈴の胸の中。しばしの間、布団と美鈴に温もられて頬を緩ませていた。
 美鈴も美鈴で咲夜を抱きしめ、胸の中に幸せを感じながらの起床を達成出来たのだから、何もいう事はなかった。
 そんな幸せに満ちたまどろみもそこそこに、いや、しっかりと楽しんだ美鈴と咲夜は、互いにふやけた顔を浮かべながらベッドを出た。

 しかし、咲夜が眠たげ目を擦った時、幸せな朝の寸刻は無惨に霧散することとなる。

 咲夜の顔が一瞬にして悲しみを帯びたその瞬間を、美鈴の視界はしっかりと捉えていた。
 更には鏡を見せてくれなどとか細い鳴き声で懇願する故に、気が進まずとも昨日よろしく脇を抱え上げて鏡を見せてやる。
 自分の惨状を目視したら目視したで、さらに顔を崩して嘆くのだからどうしようもない。

 結果、咲夜は眉を両手で隠した。
 曰く、やっぱりだめ。わたしのしってるまゆげじゃない。
 その言葉は否定出来ない美鈴の励ましも何ら効果を持たず、仕方なしに顔を覆ったままの咲夜を連れて、美鈴は朝食へと向かった。

 しかし、その道中。美鈴は気付いた。食事には両手が必要不可欠であると。
 その旨咲夜に伝えれば、丸い目を更に丸くして固まった。暫しの静寂を味わった後、咲夜は両手をそのままに、身体で焦りを体現した。

 そうして二人で云々唸って。導きたる解決策は、「咲夜が美鈴の膝の上にて、眉を隠してもらう」であった。
 ちなみに発案者は咲夜で、「めいりんがかくして!!」という半ば命令を美鈴に投げつけた。
 そうだらこうだらで、朝食時の主の問い掛けに話は繋がっていったのだった。


 
 レミリアの目に映る咲夜と美鈴の奇行は、朝食だけには留まりはしなかった。
 館の掃除や花壇の水やり、正午の昼食に至るまで、彼女たちは引っ付いて動いていた。
 その度にレミリアが疑問をぶつける訳だが、それを躱すに躱せていない美鈴達の誤魔化しに不満を露わにする他ない。

 隠されれば隠される程に興味を惹かれるのが吸血鬼という存在である。
 というより、なんか気に食わない。ちょっと楽しそうだし。というのはその吸血鬼の言葉であった。
 それを重たげな目で聴けるのは、レミリアの友人パチュリー・ノーレッジ。どうにもレミリアの部屋の椅子が気に食わない様子である。
 そんなパチュリーをお構いなしに、レミリアは今朝からの異変についての疑問やら不満やらをぶつけにぶつけ。
 つまりは、二人の優雅なお茶会を楽しもうとしている最中であった。
 
 乾いた打音が二度。扉が叩かれる音に続いて、少女の高い声が部屋に響く。

「おちゃをおもちしました」

 扉から現れたのは、咲夜と美鈴。もちろん咲夜の顔は美鈴の掌にて覆われていた。
 相変わらずのぎこちなさと奇妙さを醸し出しながら、紅咲夜はいそいそと紅茶と茶菓子の支度を始めている。

「美鈴」
「今日の紅茶は美鈴特製ブレンドの」
「いい加減にしなさい」

「は、はい?」

 レミリア予想外の物言いに、美鈴と咲夜の動きが止まる。

「おふざけが過ぎるわよ」
「別に過ぎてはないと思うのだけど」

 パチュリーを不満げに一瞥した後、レミリアは咲夜の頬をつまんだ。

「何を隠しているのかしら」
「にゃにもかくひていまへん」

「美鈴」
「何もです、何も」

「パチェ」
「知らないわよ」

 あくまでも従者達は誤魔化し通すつもりらしい。
 レミリアは怪訝な表情を浮かべていたが、しばらく咲夜の頬を揉み遊んだ末、いやらしげに尖った犬歯を光らせ、言った。
 


「離れなさい」

 美鈴の目が、大きく開かれる。

「二度も言わせないで。咲夜から離れるのよ」

 咲夜の眉を覆う手が、汗に濡れていくのを美鈴は感じた。

「ダ、ダメです」
「認めないわ」
「どうして」
「スカーレットの血がそう叫ぶの」

 主は絶対だ。そんな従者の心得第一章を失念しているとは。
 いったい何を食い下がる理由があるというのか。 
 そんな憤りを隠すこと無く、レミリアの視線は咲夜へと向けられた。

「何を隠しているのかしら?」

 咲夜の小さな身体が大きく跳ねた。

「な、なにも」
「隠し事をするのね」
「えっ」

「主である私に、咲夜は隠し事をするのね」

 先程の鋭い表情から一変して、レミリアは大げさな泣き顔と頭を抱える動作で咲夜を追い詰める。
 その天狗も恐れる感情の急降下に美鈴とパチュリーは白けた表情を浮かべていたが、当の咲夜は酷く動揺し、視線を小刻みに震わしていた。

「それはいけない事。それはとてもいけない事なのよ」

「胸が苦しい。咲夜の嘘が私の胸を締め付ける」

「嘘は吸血鬼をも弱らせてしまうの」

 ねぇ、とパチュリーに問いかけるレミリア。パチュリーは返事もせず、ただ片眉を吊り上げた。
 その乗りの悪さに不満を感じつつも咲夜を見れば、顔に青色を差して震えているではないか。それはそれは青々と。
 
 レミリアの素晴らしくも絶妙な演技に、咲夜が揺さぶられているのを美鈴は掌で感じ取った。

「時間を下さい」
「うん?」
「少々、少々時間を下さい」

 レミリアが口を開くより早く、美鈴が続ける。

「良いですよね!!」
「良いんじゃない?」
「ちょっと」

 パチュリーの許可を得た美鈴と咲夜はレミリアに背を向け、肩を寄せ合う様に屈み込んだ。
 その後ろではレミリアがパチュリーを小突きながら、またも不満を漏らし始める。
 館の主は、隠し事に続いて内緒話にも弱いのだ。

「大丈夫です」
「でも」
「お嬢様はきっと嘘でも『似合っているよ』と言いますし、パチュリー様ならきっとより良い対策案を云々」
「ほんとうに?」

 美鈴が両手が強く、咲夜の手を握る。

「それが、紅魔の絆です」
「めいりん!!」



「何故あの従者達は抱き合っているの?」
「レミィが怖かったのよ」
「パチェはすぐデタラメを言う」

 レミリアは肩を竦めた。



 咲夜と美鈴が心ゆくまで抱擁を楽しんだ後。
 意を決した顔の美鈴だけが振り向き、レミリアを見つめた。

「お待たせしました」
「大分ね」
「絆です」
「うん?」

「紅魔の絆ですよ」

 美鈴は胸に手を当て、しっかりとした語調で言い放った。
 そしてその言葉につられる様に、咲夜もまた、レミリアへと向き合った。

 咲夜の顔を押さえるものはもう、何もない。

 真っ直ぐに、力強く。ついに、咲夜の決意がレミリアの視線と交差したのであった。






「あはははは!!」

「何よその眉毛!!」

「丸、丸なのよ丸!! 眉が丸いのよ!!」

「豆みたいじゃない!! そんなのずるいわ!!」

「レミィ」
「だってこんな眉毛認められないわよ!!」
「酷い人ね」

「パチェこそ」
「えっ」



「パチェこそ、その脇腹をつねる手は」
「咲夜、騙されてはダメ」

「その手を離してしっかりと見なさい」
「私は別に」
「いいから」



「んふふふふ」

「ほら!!」

「だって……!! だって……!!」
「これが『和』なのね? パチェ、これが幻想郷の『和』なのね!?」
「レミィやめて、笑わせないで……!!」

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 またも巡って、次の朝。
 今日もまた夜を共にした美鈴と咲夜であったが、今朝は一向にベッドから出ようとはしなかった。
 ただただ布団の中で、二人の会話を楽しんでばかり。

「まだかな」

 咲夜は目を輝かせる。
 その顔に睡魔の影はなく、少し前から既に目は覚めていた様だ。

「もう少しだと思いますよ」

 美鈴も同様に。
 何かを待ち望んで堪らないといった表情を浮かべている。

「どきどきするね」
「怒られちゃいますかね?」
「でも怒った顔も面白いかも」

 違いない。その言葉に美鈴の頬は緩む。
 
 その時、部屋に耳障りな打撃音が二度響き渡った。

「いよいよですね」

 二度だけでは飽き足らないのか、扉は延々と軋み続けている。
 このままでは扉をも壊しかねない勢いで。そうされない内に、美鈴は扉の前へと向かった。



「どちら様でしょう」

 私よ、美鈴。

「私、とは」

 レミリア・スカーレット。この館、そして貴女の主。一番偉い人よ。

「これはこれは。スカーレット様でしたか。おはようございます」

 さっさとここを開けなさい。

「着替えてからでも?」



 返事の代わりなのか、扉を叩いているのであろうリズムが倍速となった。足下からも音がする故、おそらく主は足蹴りも使っているのであろう。
 このままでは本当に蹴り破られかねない。美鈴は静かに鍵を外した。

 蝶番が悲鳴をあげながら、扉が勢いよく開かれる。

「おはよう、美鈴。咲夜はここね。退きなさい。用があるの」

 部屋に入るなり美鈴を押し退け、奥を目指そうとするレミリア。
 そのレミリアを遮る様に、美鈴は進路を塞ぎ、問いを投げ付けた。

「どうかしたんですか」

 刹那、レミリアの顔が紅潮する。

「どうもこうもないわよ!!」

 なによこれ、とレミリアは震える指で顔を指す。
 いや、正確には顔ではなく、目の上だ。



 レミリアの顔にも、丸が二つ。
 どこぞの少女とお揃いな丸。幻想郷の「和」。
 丸くて平安な、眉毛が二つ。



「鏡を見て!! 衝撃を!!」
「映るんですね、鏡」
「そんなことはどうでもいいの!!」

 美鈴を無理矢理に押し退け、ずかずかと部屋の奥へと歩を進めるレミリア。
 目的地は勿論、ベッドの上の膨らみである。

「咲夜」

 いません。

「また嘘をつくのね」

 わたしはしゃべるおふとんです。

「嘘つきにはお仕置きが必要ね!!」

 レミリアは勢いよく布団を捲り上げた。
 包んでいた布団を奪われた咲夜は、主譲りのわざとらしい悲鳴をあげた。
 そしてその主の顔を見るなり、腹を抱えて笑い転げた。

「あははは、めいりんたすけて!!」
「笑ったわね!! 偉大なる主を笑ったわね!!」
「咲夜ちゃんを笑い死なせる気ですね!!」

「貴女の差し金でしょう、えぇ!?」
「いひゃいいひゃい!! 頬が、ちぎれちゃいますから!!」
「おなかが、おなかが!! いたすぎて!!」



 それからしばらくの間、部屋の笑い声が途切れることはなかった。
 じゃれ合い、団子となりながら、笑い合う三人。
 笑いが収まる頃には、三人は息も絶え絶えに頭を垂れた。



「あぁ、疲れました」
「誰のせいよ」

 レミリアが再び美鈴の頬をつまみ弄る。
 もちもちと遊んでいたレミリアであったが、何かに気付いたのか、背中の羽をぴくりと強張らせた。

「美鈴の眉毛ってキレイね」
 
 目を閉じ、頬をただただ良い様にされている美鈴は、瞼を閉じたまま答えた。

「ありがとうございます」
「ううん、間違えたわ」
 
 レミリアは空いた手で、美鈴の眉をなぞる。

「眉毛、キレイなままなのね」

「えっ」

 美鈴は瞼を開くと、そこにはいたずらな目つきをしたレミリアの顔。
 その隣には、いつの間にか一緒になって頬を弄り遊んでいた咲夜の顔もある。咲夜の目つきも、レミリアのものと相違なく。

「咲夜もそうは思わないかしら」
「んふふ」
「ま、待って下さい」

 悪寒に襲われた美鈴は頬の指々を振り払うと、レミリア達から後ずさる様に距離を取った。
 レミリアがゆっくりと距離を詰めている横で、咲夜もまた、何か不穏な笑みを浮かべながらレミリアの後をついて行く。

 美鈴はレミリア達と対面しながら、後ろ歩きで扉を目指していく。
 ここは美鈴の部屋だ。もはや視線を向けずに扉に向かうことなど、美鈴には朝飯前である。

 美鈴がなんとかレミリア達との距離を保ちつつ脚を進めていく途中、何故かレミリア達の動きが止まった。
 その一瞬の隙を突き、美鈴は身体を翻す。そして駆け出そうとした刹那、何か柔らかい物体に遮られてしまう。
 
「私もそう思うわ」

 見慣れた紫色の布地に絶望を覚えながら顔を上げると、そこには豆眉な魔法使いの顔があった。

「紅魔の絆ってやつね」
「ハサミはちゃんと持ってきたわ」
「これでめいりんもおそろいだね」

 それでも脱出を試みる美鈴の肩を、レミリアが掴む。
 奇妙な迄に優しく、そしてしっかりと。

「諦めなさい」



「い、嫌です!!」
「暴れるんじゃないの、往生際が悪いわね!!」
「レミィ、しっかりと押さえてて!!」

「助けて!! 咲夜ちゃん助けて!!」

「あははは!! めいりんへんなかお!!」


 
 


 それから数週間、紅魔館の門の前に美鈴の姿はなかったそうな。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「そんなこともあったわね」

 一方に体重を掛けられた丸椅子が、僅かに音を立てて足を浮かせた。
 その足々には赤色のリボンが蝶結びになっていたり、鈍い色の包帯が巻かれていたりと、個性的な装飾が為されている。

「今でも覚えているわ。……本当よ? お嬢様やパチュリー様、勿論美鈴の顔もね」

 その装飾主である咲夜が口元を緩ませる。
 身体の重心移動で椅子を前後に傾け遊びながら、椅子の脚に巻かれた布を弄っていた。

「笑ってますけど、咲夜さんの顔だってそれはもう」

 美鈴は箪笥の引き出しの中を鳴らし、古ぼけたポーチを取り出した。
 そして中から目当ての小さなはさみを取り出すと、咲夜の前に位置取った。

「覚えてないわね」
「なんて都合の良い頭でしょう」

 美鈴は胸の高さにある咲夜の頭をそっと撫でた。

「あんな顔をまともに覚えていたら、恥ずかしくて館を歩けないわ」
「あんな顔って」

 咲夜の顔に、ほんのりと朱が差す。
 指摘してからかうのも趣だが、あえてしないのが美鈴流。

 右手の化粧ばさみで音を鳴らしながら、左手の指で咲夜の眉をなぞった。
 
「あんまり動かないで下さい。また丸くしたいんですか」
「そしたら美鈴もお揃いですもの」
「なんと」

 化粧ばさみのひんやりとした肌触りに、咲夜は身体を僅かに強張らせた。

「くしゃみなら今のうちにお願いしますね」

 咲夜は目を閉じたまま、口角を上げる。

「美鈴こそ気を」
「くしゅん!!」

 流石に想定外だったらしく、咲夜の顔に焦りの色が見えた。

「あ、危なかったじゃないの」

 美鈴は返事代わりに、くすんと鼻を鳴らした。
 咲夜の強めな視線から目を逸らしながらも、膝を曲げて顔の高さを咲夜に合わせる。

「咲夜さんもしといた方が」
「大丈夫」
「本当ですかね」

「くしゅん」
「よろしい」

 気持ち引き締めた表情を浮かべながら、はさみを眉にあてがう美鈴。
 対する咲夜もただあの頃の様に、全てを委ねて目をつむるだけ。
 あれから幾ら時が経とうと、この瞬間は変わりなく。次に鏡を見る時には、美鈴とお揃いの眉毛なのだと心躍らせながら。
 
 眉の上をなぞられる様な感覚。外から内へ、外から内へ。
 頬をさらさらとなぞっていく小さな毛に、こそばゆさを少しだけ感じながら。


 
 こそばゆさ。



 小さな毛で鼻元が刺激されて。



 くすぐったい。



「め、美鈴待っ」

 目を閉じていた咲夜は知らない。
 咲夜が鼻の奥から湧き上がる衝動を察知して制止を呼び掛けようとした時、美鈴もまたその衝動に襲われていたことを。美鈴の顔が既に天井へと向きかけていたことを。
 
 そして美鈴は、後々にまた後悔やら自責、更には羞恥の念に押し潰されるのだった。
 何故に。何故にはさみを眉毛から離さなかったのか。

  
 



「「くしゅん!!」」






 紅魔館はひと月の間、臨時休業を宣言した。